2011年04月

 日本文学研究の重鎮、アメリカ人のドナルド・キーン氏が日本国籍を取得する意思を明らかにしました。読売新聞の報道によると、彼はすでに日本国籍取得の手続きをとった、とのことです。

 

 東日本大震災の後、放射能への懸念その他で日本を去る外国人があとをたちません。長期在住者でもあっさりと日本を引き揚げていった外国人が多数います。

 

 キーンさんはまさにそうした動きとは反対に、「日本国民と共になにかをすると思い、大震災で日本国籍取得を決意した」というのです。日本に住んで、日本のよいところをさんざんに得ながら、いざとなると、あっさり日本を捨てていく。そんな外国人への痛烈な批判がこめられているようなキーンさんの決意です。

 

 キーンさんは「日本のためというような言葉も大切だが、行動はもっと大切。日本国籍取得は日本への期待と確信の表現だ」とも述べています。

 

 どんな人間にとっても、どの国家に帰属するかは超重要です。世界人というのも、国連人間というのも存在しません。いまの人間は必ずどこかの国家に属しているのです。そして日本以外の諸国は自国の国民、つまり国籍保持者に国家への忠誠を義務づけています。だから「国家反逆罪」とか「国家転覆罪」ということが存在するのです。徴兵や納税の義務もごく普通です。

 

 ここまで書いてくると、今回のアメリカ人のキーンさんの日本国籍取得が日本国内での外国人参政権問題にもつながりを持ってくることに気づく方も多いでしょう。日本に永住し、日本の政治に関与したければ、日本の国籍をまず取得すればいいではないですか。

 

 日本の国籍を取得しないということは、他の外国への忠誠を優先するという意味にとってもよいでしょう。またいざというときは日本を捨てるという態度を意味していると解釈しても、さほど的はずれではないでしょう。今回の大震災での中国系や朝鮮半島系の住民の大量の出国がその一端を物語っています。

 

 ドナルド・キーン氏の日本国籍取得にはこんなことを思いました。

 東日本大震災という大天災は私たち日本人に筆舌に尽くせない打撃をもたらすと同時に、ふだんでは得がたい教訓をも示してくれたようです。
 
 そんな教訓の一つは「国家」という存在の国民にとっての価値や不可欠性だと思います。
 
 「国家は個人を弾圧する」「国家は抑圧機構」「国家権力におもねるな」――戦後の日本ではこんな国家の否定が知的な流行である時代が長く続いてきました。国家という存在がまるで悪であるかのような、戦後思想だといえます。
 
 国家否定は共産主義の影響のほかに、さらには戦前、戦中の日本国の悲惨な体験という影響も大きいでしょう。
 
 しかしいまの現実の世界で個々の人間は自分が帰属する国家を否定されては生きていけません。この単純な現実はどうにも否定できません。日本にとって超重要な日米同盟にしても、まず日本という国家ありき、の存在です。
 
 日本人が外国で苦難にあい、日本の政府ではなく、国連に助けを求めることができるでしょうか。国連が個々人の世話をしてくれるでしょうか。そんな簡単なことを想定しても、個々の人間にとっての主権国家の役割がいかに欠かせないかがわかります。
 
 その単純な基本を証明したのが今回の東日本大震災でしょう。厳密には東日本大震災がもたらした日本国民への災禍とその対策における日本国の役割です。
 
 そのへんの基本について拓大総長の渡辺利夫氏が好論文を書いています。
 
 また私もちょうど10年前、アメリカでの同時中枢テロの直後に、そうした緊急時の国家の役割について似た趣旨の記事を書きました。その記事を再現します。
 
 日本のあり方への現実的な思考の一助になれば、という期待からです。
 
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【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 国家と共同体を心に刻みつけた
2011年04月21日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 私の上半身にはいくつもの火傷(やけど)の痕がある。大戦時の空襲により真っ赤に燃える甲府の街を恐怖に震え逃げ惑いながら負った火傷である。母の里に 避難した後、我(わ)が家のあった辺りに戻った私の目の前に広がっていたのは、2つの地場の百貨店が黒く焼け爛(ただ)れて立っているだけ、他は延々の焼 け野原であった。

東日本大震災、津波が黒く巨大なエネルギーの塊となって太平洋側の町や村を次々と飲み込み吐き捨て残していった瓦礫(がれき)の山は、幼少期の経験と二重写しとなって私のトラウマを呼び戻す。「第2の敗戦」である。

大震災以前、多くの日本人は国家と共同体に価値を求めず、自由な個として生きることを善しとする気分の中に漂っていた。国家とは口にしにくいから市民社会 と言い、国民とも言いにくいので市民と言うような気分である。地球市民などという迷妄の用語を弄ぶ政治家さえいた。私はそういう気分のことをポストモダニ ズムと呼び、こんな軽薄な気分ではナショナリズム鬱勃たる中国、ロシア、朝鮮半島を近在に擁する日本は彼らと共存することさえ難しいと本欄を通じ何度も主 張してきた。

≪感銘与えた自衛隊などの献身≫

実際、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ロシア首脳の国後島訪問、北朝鮮 軍による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件と、日本の安全を脅かすことごとが起こったものの、民主党政権は主権国家としてのまともな対応を何もしないま まに打ち過ごしてきた。のみならず、日本の安全を保障する唯一の制度的装置たる日米同盟を危殆(きたい)に貶(おとし)めて恬然であった。国家観念の希薄 な政権中枢部にあっては、国益とは何かが不分明だったのであろう。

しかし、東日本大震災がまぎれもなく顕現したのは「国家」であった。 このような非常事態に際しては情報収集と危機管理を徹底して一元化し、国民的な力をみずからに引き寄せて事に当たる政治的凝集力が不可欠である。司令塔た るべき官邸のこの面における対応は信じ難いまでに拙劣であった。その責任はいずれ糾弾されねばならないが、いまは言うまい。

司令塔は機 能麻痺(まひ)状態にありながら、それゆえ行動展開には難があったのだろうが、自衛隊、消防、警察、海保などの犠牲を厭(いと)わず被災民の救済に献身す る姿に感銘を覚えなかった者は少なかろう。自衛隊は総隊員数の半数10万人余を出動させ、生ける者は能う限り救助し、死せる者は積もる瓦礫を掻き分け探し 求め、埋葬に携わって不眠不休の1カ月に耐えた。この光景の中に人々は国家というもののまぎれもない存在を心に深く刻みつけたに違いない。

米軍は2万人近い兵力を投入、空母ロナルド・レーガンをはじめ20隻の艦艇、140機の航空機をもって救助活動を展開した。日米同盟という国家関係があっ たればこそである。日本は救助されねばならない国家だ、米国にそう認識させる何ものかを日本という国家はもっていたのである。国家なき市民社会などいう物 言いがいかに虚妄であったかは自明である。

≪1杯のうどん譲り合う避難所≫

東日本大震災が露(あら)わにしたもう1 つは共同体の強靱(きょうじん)性である。共同体なくして人は人生を全うできない。この余りにも当たり前のことをわれわれは忘れ、個として生きることが善 きことであるかのような幻想を抱いてこなかったか。温かいうどんが配られると聞いて避難所前に整列した人たちが、配られるのは20数杯だと言われて、受け 取ったうどんの茶碗(ちゃわん)を後ろの人に渡し、渡された人がさらに後ろの人に渡していって最後には老人と子供にこれが行き着くといった光景をみて、私 の胸はつまる。

共同体を共同体たらしめている精神と原理が、東北地方の農漁村の共同体の中には、しなやかにも生きていたのである。共同 体を蘇生(そせい)させねばならない。全うな共同体に支えられずして、全うな国家が存立できるはずはないからである。政権中枢部のぶざまな不作為は、被災 地住民からなる共同体の忍耐強い相互扶助によって、辛くも救われているのではないか。

≪「天罰」ではなく「天恵」に≫

日本人の精神の一番奥深いところにある共同体の精神と原理が消失していない以上、いずれ被災地は復興するに違いない。長い平成不況の中を漂い、かといって 食うに困るわけでもなく、ただ寡黙に沈殿してきた日本の国民に、国家と共同体の重要性を悟らせたものが東日本大震災であったとすれば、これは「天罰」では なく「天恵」であったと受けとめねばならない。

「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を 生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続け ていくことを心より願っています」

陛下のこのお言葉の中に、私どもが求めねばならない国家共同体のありようが、深々と表出されていると私は思うのである。(わたなべ としお)

 

 

      以下は私の10年前の評論記事です。

      この記事はとくに最後の部分に熱をこめて書きました。

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【緯度経度】ワシントン 古森義久 「国家」の意義を再認識
2001年10月01日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 米国弁護士協会の「法律と国家安全保障の委員会」の研究会議に出た。九月二十八日の早朝、秋の気配が迫ったワシントンで、である。

この委員会は国防、軍事、外交、諜報など国の安全に関連する機関にかかわる弁護士たちが安全保障について論じるフォーラムなのだが、今回は米中枢同時テロへの法律面での対応を広範に討論する緊急の集まりとなった。論題は「国内のテロ脅威への法的な対応」とされていた。

国防総省、議会、CIA、FBI、国家安全保障局などの法務部門の現旧代表がつぎつぎに立ち、二百人ほどの参加者に向け、今後のテロ壊滅作戦での法律上の 課題を説明する。疾病対策センターや防火工学研究所、核拡散防止の研究機関の代表までが持ち場の状況を報告する。その後は質疑応答となり、熱のこもった会 議は三時間近く続いた。会議全体を通じてとくに印象に残ったのは、史上最悪の大テロへの急場の対応の渦中で法律専門家たちのこうした政策研究がじっくりと なされることのほかに、ある民間機関の代表が述べた次の言葉だった。

「今回の事態で明白になったのは私たちをこの種のテロ攻撃から守っ てくれるのは国家しかないという事実です。最近の米国でも世界でもグローバリゼーションとか、国境なき、とかいう標語がもてはやされてきたけれども、いざ という際に一般市民を守るのは結局は国民国家の政府だけだということです」

たしかに政経グローバル化や国境を越えた多国籍経済を象徴す る世界貿易センターがテロで崩れ落ちたとき、被害者を救うのは米国という国家の警官や消防士だった。テロ勢力を追い、滅ぼし、同様の大量殺人が二度と起き ないようにするのも米国という国家の軍事力であり、政治力となる。このプロセスではマイクロソフトのようなグローバルな大企業も、国連のような国際機関 も、日本でも急増した一連の非政府組織(NGO)も、すっかり無力となる。恐ろしい大規模テロの復旧作業も、再発の防止措置も、テロの壊滅作戦も、米国の ような主権国家の政府に頼るしか方途はないことがいやというほど証明されたのだ。

これまでのグローバルな技術や金融の広がりのなかでは国家はなにか時代遅れの存在のように扱われだしていた。国家の主権や国境はハイテクや創意の地球規模の流れにとってはなにか障壁のような負の要因にみられがちだった。

だが今回のテロが起こした大惨事は、いざという最悪の事態に個々の人間を守るのはやはり国家しかないという真理をみせつけて、主権国家の意義を一般に再認 識させたようなのである。しかしよく考えれば、統治のメカニズムを持つ整序された国民共同体である国家が、その統治を託された自国民の安全を守るのは当然 である。国民の保護や防衛は国家の責務でもある。

「ある国家が自国の国民や代表を暴力から守ろうとする努力の発揮は、その国家の偉大さを測定する最も真実な指針である」

イギリスのウィンストン・チャーチル元首相の言葉である。国家には国民を守る責務があり、その責務の遂行のためにどこまで努力するかがその国家の格を決めるという意味だった。

今回のテロで期せずして明示された国家の意味は、日本の一部での国家観や平和観のゆがみをも正してほしいところである。

社会思想史の権威の関嘉彦・都立大学名誉教授が語った。

「自由と民主主義に立脚する平和は武力なしには守れない。いまの世界で武力の保持や行使を正当化されている単位は国家しかない。だから国家なしに平和を守 ることはできないわけです。そのへんの現実が今回のテロで再確認され、日本でも国家を弾圧の道具のような悪だとする主張の空疎が印象づけられたでしょう」

たしかに日本では一部の政党やマスコミには国家を悪しき存在とする傾向がある。日本の民主主義の大前提を認めずに、国家を国民とは対極に置いて、「国家権 力」「国家弾圧」という表現を常用する。この理屈に従えば、今回のテロの日本人犠牲者二十数人に対しても日本国政府はなんの関係もないことになる。

だが実際にはそうではないという現実はいまやあまりにも明白であろう。
 

 

 大震災で国力が弱くなるときにこそ、外部からの脅威には注視するべきでしょう。中国やロシアの日本の領海、領空への侵犯ぎみの軍事動向をみていると、

そのことを痛感させられます。

 

先方からみれば、日本の国力が弱くなり、国内の窮状への対応に手一杯というときにこそ、北方領土でも、尖閣諸島でも、日本の領土を収奪しやすい、ということになrでしょう。東シナ海の領有権のからむ経済資源の収奪にしても、同様です。

 

どの国家にとっても安全保障もまず外部とのかかわりのあり方です。利害や価値観のぶつかる外部の他国が日本に対し安全保障上、軍事上、どんな動きをとってくるかが、日本の国家安全保障のカギだといえます。

 

そんな認識を踏まえて、中国の軍事力の実態に光を当てる連載を雑誌「SAPIO」で始めました。中国の軍事動向に関しては全世界でも最も多くの情報を得ているアメリカの専門家たちの見解を聞くという方式のレポートです。

 

 

 

SPECIAL REPORT】〈G2時代に備え、かつての米ソ冷戦時代をしのぐリサーチが進んでいる〉世界が固唾を呑む「アメリカの中国研究」

 


・総論 「中国の標的にされた」とアメリカは自覚した/古森義久

 


・巨弾連載 古森義久ワシントン報告 第1回〈核戦力〉「核弾頭450発」の大部分は秦嶺山脈「地下22基地」に保管されている

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 レポートの総論の冒頭を以下に紹介します。

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 総論 

それは1996年「台湾海峡危機」から始まった

 「中国の標的にされた」とアメリカは自覚した

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 アメリカの首都ワシントンでいま最も重厚な論題といえば、中国の軍事力だろう。

 

 もちろん日本の大震災や中東での政治動乱も切迫した緊急大テーマではある。

 

 だがここ一年ほどの中期のレンジでは、なんといっても中国の軍拡こそが最も広範かつ頻繁に、しかも熱をこめ論じられてきた課題だといえる。

 

 連日のように議会での公聴会、政府高官の記者会見、官民の研究所での討論会など、多様な場で中国の軍事力問題が取り上げられてきた。

 

 アメリカがこれほど中国の軍拡を気にかけるのはまず第一にその軍拡の疾走していく方向にはどうもアメリカ自体が標的として位置づけられているような構図が浮かぶからだ。

 

 第二には中国の軍拡は日本や台湾に大きな影響を及ぼし、その背後のアメリカのアジア政策とぶつかり、さらにはアメリカが主導する現行の国際秩序への挑戦ともみえるからだ。

 

 中国の大軍拡がいま世界を揺さぶるといっても、過言ではないのだ。

 

 中国の軍事の実際の動向についてはアメリカの情報収集力は抜群である。

 

 秘密のベールに覆われた中国の人民解放軍の兵器や兵員の動きを人工衛星や航空機での偵察、通信傍受、さらには古典的なスパイ活動などの手段で察知する。スーパワーパワーたる由縁でもあろう。

 

 だから中国の軍事動向は中国領内にいてはかえってよくわからず、ワシントンのほうが公開情報が多いという実態なのである。

 

 中国の軍事を研究する専門家も官民で数を増してきた。東西冷戦の長い年月、アメリカの国際問題研究ではソ連の軍事力が最大の課題であり、人材もその分野に集中していた。

 

 だがいまその集中が中国の軍事研究へと移ってきたという感じなのだ。

 

 いまでは中国の軍事についての情報や分析は全世界でもワシントンが最も豊富な宝庫となったといえる。

 

 このレポートではそれらアメリカの専門家の代表的な人物たちにインタビューして見解を聞き、中国の軍事力という課題に多方面からの光を当てることを努めた。

 

 さらに彼らの言葉に私が別個に得てきた情報や分析を加えて、アメリカが中国の軍事をどうみるのか、そして中国の軍事力の実態とはなんなのか、を立体的に報告することとした。

最初に総論として、中国はそもそもなぜ軍拡を進めるのか、その長期の目標や戦略はなんなのか、を探査することにする。

(以下、略)

 

 

 統一地方選の後半戦でまたまた民主党が大敗しました。

 

やはり民主党政権、菅政権への国民のノーの表れでしょう。

 

菅直人首相にとっては二重三重の不信任だといえます。

 

 しかし菅首相は居座りの構えです。

 

 さてこれから菅政権はどうなるのか。日本の政治はどうなるのか。

 

 地方選の結果を眺め、日本の政局の行方を占う最新報道の紹介です。 

 

【朝刊 1面】


統一選後半戦 衆院愛知補選、自民圧勝 対決型市区長選、3勝6敗


 

 第17回統一地方選後半戦の市区町村長・議員選挙と、民主党前職の辞職に伴う衆院愛知6区補欠選挙が24日、投開票された。愛知6区補選は自民党元衆院 議員の丹羽秀樹氏(38)が、河村たかし名古屋市長が率いる地域政党「減税日本」の候補ら4新人を大差で破り2回目の当選を果たした。一方、統一選後半戦 では、与野党対決型の9市区長選で、民主党は3勝6敗と大敗。愛知補選の不戦敗と合わせ、菅直人首相ら党執行部の責任論が噴出するのは必至だ。

 統一選後半戦の民主、自民党系候補による事実上の対決型選挙で、25日開票の江東区長選を除く9市区長選のうち、民主党は津市、大分市、茨城県取手市を制した。しかし、東京都稲城市、台東区、渋谷区、練馬区、千葉県習志野市、静岡県富士宮市で敗北した。

 住民基本台帳ネットワークへの接続可否が争点となった東京都国立市長選は接続推進派の佐藤一夫氏(63)が、切断継続を訴えた現職らを破り初当選。福島県矢祭町長選では、接続を拒否している現職の古張允氏(70)が再選した。

 全国唯一の財政再生団体である北海道夕張市長選は、元東京都職員の鈴木直道氏(30)が初当選、現職市長で最年少となる。

 地域政党では橋下徹知事率いる「大阪維新の会」の元府議、井上哲也氏(54)が、大阪府吹田市長選で初当選を果たした一方、「減税日本」は神奈川県平塚、愛知県田原の両市長選に新人を擁立したがいずれも敗退した。

                   ◇

 愛知6区補選は自民党の丹羽氏が当選したが、自民党は平成21年衆院選で愛知県15選挙区で全敗しており、県内の議席空白を解消した。

 減税日本は国政での議席獲得を狙って、フリー記者の川村昌代氏(44)を擁立。政府検討の「復興増税」を批判して消費税減税にも踏み込んだが、無党派層にも浸透できなかった。

 補選は2月の名古屋市長選に出馬した民主党議員の辞職に伴うものだったが、民主党は候補の擁立すらできなかった。

                  ◇

 ▽衆院愛知6区補選 開票終了

当 104328 丹羽 秀樹 自元

   39308 川村 昌代 諸新

   14369 河江 明美 共新

    7932 福原真由美 幸新

    3842 目片 文夫 無新

丹羽(にわ) 秀樹(ひでき) 38 〔2〕

党県役員(議員秘書・証券会社員)愛知県春日井市・玉川大

 

 

 

【朝刊 1面】


統一選後半戦 民主また大敗 「菅降ろし」封印解けた


 

 

 

 ■3つのシナリオ 〔1〕両院総会動議/〔2〕不信任案造反/〔3〕サミット花道

 「菅降ろし」の封印が解けた。東日本大震災の発生で自粛気味だった菅直人首相の退陣論は、統一地方選で民主党政権への厳しい評価が明らかになったことを 受けて、再び動き出した。小沢一郎元代表らは5月2日に予定される平成23年度第1次補正予算の成立を待ち、一気に総力戦を仕掛ける構えだ。一方、震災対 応を「宿命」と位置付け、続投に執念を燃やす首相は持久戦に持ち込もうとしている。両者の思惑を探ると3つのシナリオが浮かび上がる。(坂井広志)

                 □  □

 統一地方選の開票作業が進んでいた24日夜、都内のホテルで、小沢氏と国民新党の亀井静香代表が向き合っていた。

 「あなたの卓越した能力が必要なので表に出てきてくれないか」

 首相の名代を名乗る亀井氏は超党派の「復興実施本部」への協力を求めた。

 「知恵を出すのはやぶさかではないが…」と小沢氏。首相の延命に手を貸すことはしない-。そう語ったに等しかった。

 選挙の季節が終わるのを待っていたかのように、首相交代に向けた動きが活発化してきた。第1のシナリオとして有力視されているのは、民主党の両院議員総会を舞台とした菅首相の党代表解任作戦だ。

 発火点になり得るのが、26日にも発足する議員グループ「総調和の会」。主要メンバーは小沢系の山岡賢次副代表、田中真紀子元外相、鳩山由紀夫前首相に 近い中山義活経済産業政務官ら。執行部に両院総会の速やかな開催を要求し、ここで代表解任の緊急動議を可決させる青写真を描く。

 メンバーの一人は「小沢グループは衆参で120人近い。鳩山系や中間勢力を取り込めば、緊急動議の可決に必要な過半数は超える」と計算する。

 ただ、代表解任が議決されても、首相は規約の不備を盾に居座りを決め込むことができなくはない。自民党の党則には、国会議員と都道府県連代表の過半数の 要求で総裁選を実施できる事実上のリコール規定があるが、民主党規約は両院総会で代表を選ぶ条件を「代表が欠けた場合」と定めるだけだからだ。

                 □  □

 第2のシナリオは内閣不信任案の可決だ。

 「いま代表選をすれば民主党議員約400人のうち300人は小沢先生を支持しますよ」

 12日、都内の私邸で開いた懇親会。小沢氏はある側近議員からこうおだてられると「それは代表選の話だろ? 首相交代の話とは違う」とたしなめた。 300人という数はオーバーにしても、その後の小沢氏は「首相を退陣させるには内閣不信任案しかない」と繰り返すようになった。

 内閣不信任案が可決されれば、首相は10日以内に衆院の解散か総辞職を選択しなければならない。大震災で総選挙が物理的に不可能となった今、首相に残される道は退陣以外にない。

 内閣不信任案を可決するには、衆院の民主党会派(306議席)から70人以上の造反が必要だ。小沢グループは衆院だけで約90人おり、十分可能な数字だ。

 小沢氏が内閣不信任案にこだわるのは、三木武夫首相に退陣を迫る昭和50年代初頭の「三木降ろし」がいかに難航したかを知っているからだ。当時、当選2 回だった小沢氏は「首相が自ら辞任しないならば、国権の最高機関(国会)で対抗するしか勝ち目はない」と考えているのだ。

 だが、内閣不信任案は基本的には野党の提出を待つしかない。しかも与党議員が賛成票を投じれば離党するのが筋だ。小沢氏が鳩山氏ら他グループとの連携を重視するのは、圧倒的な数の力で「造反」を正当化し、党内にとどまることを画策しているからだろう。

                 □  □

 党分裂を回避するためのシナリオが自発的退陣だ。首相は5月26、27両日に仏ドービルで開かれる主要国首脳会議(サミット)に出席する。党内では「檜(ひのき)舞台で復興を高らかに宣言し、これを花道に後進に道を譲る」という美しきストーリーもささやかれる。

 しかし、当の首相は18日の参院予算委員会で「任期は2年半後に来るので歴史的な使命を果たせれば本望だ」と語ったように、長期政権を思い描いている。

 「菅さんは安倍晋三、福田康夫両元首相のように簡単に辞めない。可能性が高いのは衆参ダブル選挙だ」

 岡田克也幹事長は19日、若手議員との懇談会でこう話した。衆参同日選ならば平成25年夏となる。今回の統一地方選で有権者の明確な審判を突き付けられた首相に、果たしてそんな居座りが許されるだろうか。

 作家の堺屋太一氏が統一地方選の前半の結果を受けて、鋭い評論を発表していました。

 

 24日の地方選の後半の結果はまさにその指摘を裏付けることになりました。

 

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【正論】作家・堺屋太一 官が定めた安全基準の落とし穴
2011年04月20日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 ≪官の虜となった民主に鉄槌≫

4月10日に行われた統一地方選で、与党の民主党が惨敗した。知事選では、独自の公認・推薦候補を1人 も当選させられなかった。府県会議員選挙では、自民党と並ぶ「1000人規模の当選者」を目指すと豪語していたが、結果は346議席。選挙前より11人の 微増にとどまった。

これに対し、大阪府の橋下徹知事が提唱する大阪府市合併の「大阪都構想」を推進する「大阪維新の会」は、大阪府議選で過半数を獲得、大阪市議選や堺市議選でも第一党になった。日本国民は民主党を嫌い、変革を求めている。

21世紀に入ってからの国政選挙を振り返ると、与党が勝利したのは、2005年の衆議院選挙における小泉自民党だけだ。この時、小泉純一郎・自民党総裁は 改革を唱えて実行もした。官僚たちが嫌がった郵政や高速道路公団を改革し、財務官僚の望んだ消費税の引き上げを拒んだ。

ところが、小泉氏が引退したあと、07年の参議院選挙では自民党は後退、09年の衆議院選挙では歴史的な惨敗を喫した。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総理総裁が代わる間に、自民党は改革の気概を失い、官僚言いなりの無気力政党になっていたからである。

これに対して、民主党は、「予算の無駄遣いをなくすことで7兆円の財源を搾り出せる」と豪語、子ども手当や高速道路の無料化、農家への戸別所得補償などの 新政策を打ち出した。国民は半信半疑ながら、何がしか新しいことをしてくれると期待した。その結果が09年の衆議院選挙での308議席である。

しかし、国民は裏切られた。民主党政権は、たちまち官僚の虜(とりこ)となり、天下りや現職出向を盛大にやり、各大臣は官製原稿を喃々(なんなん)と読む ばかりだ。予算仕分けをテレビ中継で見せたが、筋書きは財務省の制作だから既成予算を7000億円ほどしか削り込めなかった。これでは自民党時代の見直し と大差がない。

≪官主導脱せぬ自民も復活せず≫

「公務員給与総額を2割削る」などは全くの虚言だった。そのうえ、外交防衛分野では、沖縄の基地問題でも、尖閣諸島や北方領土の問題でも、無知と情報不足を露呈した。

結局、民主党政権は、官僚任せしかできないことが判明したのである。

その結果、民主党は、10年以降のほとんどの選挙で負け続けている。10年7月の参議院選挙では、選挙前の54議席に対して当選は44議席だ。同年10月 の北海道の衆議院補選でも敗れたし、和歌山の知事選や福岡、金沢の市長選でも負けた。今年に入ってからの愛知県や名古屋市の地方選挙でも惨敗続きである。

それでは、自民党が大いに復活しているかといえば、必ずしもそうではない。41府県会議員の選挙で自民党が獲得した議席は1119、民主党の3倍とはい え、前回当選数1140を下回った。議席を大幅に伸ばしたのは、前述の「大阪維新の会」や愛知の「減税日本」、それに公務員改革を提唱する「みんなの党」 である。

小泉政権以来の選挙の流れから読み取れる国民の発するシグナルははっきりしている。改革、特に官僚主導からの脱却である。

福島第1原発の事故が収まらない。実は、ここにも官僚主義の欠陥が見える。

≪復興にこそ「民の声」生かそう≫

私はかねて、原発の必要性を認めながらも、日本のやり方を批判してきた。日本の考え方は基準主義、官僚が定めた安全基準を満たせば、「事故はあり得ない」とするものだ。日本やロシアはこの考えに立っている。

アメリカやフランスは確率主義だ。ここまでの安全対策を採れば事故の可能性は1億分の1か10億分の1になる。だが、ゼロでない限り、非常時対策は要る、とするものだ。

日本の発想は「官僚の無謬性(官僚は間違わない)」という前提に立っている。このことは原発に限ったことではない。建築や道路も同じである。

「日本の道路は国の基準に適(かな)って造ってあるから絶対に安全だ」といわれたが、阪神・淡路大震災では高架道路が横転した。

今もほとんどの地域で行われている義務教育の通学区規制もそれだ。官僚が定めた基準で校舎を造り、教科書を定め、国家試験に合格した教師が教えるのだから学校格差はないはず、「官僚が定めた学校に行け」というのである。

外国に比べて寄付の税制控除が制限されているのもそれ。世のためを思うのならまず納税をしろ。公共のために一番上手にお金を使うのは官僚だからまず税金を払え、となる。

21世紀に入ってからの数々の選挙で国民が叫び続けてきたのは、「官僚には任せられない」「官僚主導の政治を脱却してくれ」という叫びである。

大震災、大津波、原発事故の三重災害からの復興にこそ、民の声を生かそうではないか。(さかいや たいち)

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