2011年06月

イラク政府が日本への石油支援を発表しました。

 

ありがたいことです。

 

しかしこのイラク政府というのはアメリカ主導のイラクへの軍事介入でフセイン政権が打倒された後に登場した新しい民主主義の政権です。

 

日本へもこうした友好的な態度をとるイラク民主主義政権はもちろんサダム・フセイン独裁政権が打倒されたからこそ、誕生したのです。

 

となると日本のいまの視点からしても、フセイン政権打倒の軍事作戦には実利があったということになりますね。

 

 以下はNHKニュースです。

イラク 石油輸出は日本最優先

6月30日 5時39分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

世界有数の原油埋蔵量を誇るイラク政府は、東日本大震災の復興を支援する一環として、日本への原油の輸出を最優先にし、日本企業の求めに応じて輸出の割り当てを増やす方針を決めました。

これは、イラク政府のアルダバグ報道官が29日、NHKのインタビューの中で明らかにしました。こ の中で、アルダバグ報道官は「日本は、私たちが苦しんでいたときに支援をしてくれた。今、恩返しをしなければならない」と述べ、日本がイラク戦争後の復興 を支援してくれたことへの恩返しとして、東日本大震災からの復興を支援したいという考えを明らかにしました。そのうえで、日本が電力不足を始めエネルギー 危機に苦しんでいるとして、日本への原油の輸出を最優先にし、日本企業の求めに応じて輸出の割り当てを増やすことを閣議で決定したことを明らかにしまし た。このほか、イラク政府からの義援金として1000万ドル(日本円でおよそ8億円)を日本に供与することも決めたということです。さらにアルダバグ報道 官は、マリキ首相が近く日本を訪問して、こうした支援の考えを直接伝えるとともに、経済関係の強化へ向け話し合いを持ちたいという意向を示しました。

 

             (イラクの石油生産)

 

http://jp.wsj.com/var/plain_site/storage/images/media/images/100331_iraq.jpg/805449-1-jpn-JP/100331_iraq.jpg.jpg

ベトナムが中国に毅然として抗議を続けています。

 

南シナ海での中国の傍若無人の行動に対して、です。

 

ベトナムといえば、私自身のベトナム体験はずっと過去のことでしたが、その教訓はいまにも活きていると思います。

 

以下の自書のなかに、そのことを詳述しました。

 

http://ap.boox.jp/image/img.php?itemType=BK&code=4819111299&size=L

 

ベトナム戦争は遠くなりましたが、日本のいわゆる識者はこのベトナム情勢に関して、巨大な誤認をしていました。あるいは誤認としっていて、政治的な理由から虚構を主張していた人たちもいたことでしょう。

 

いまの菅直人氏らの世代の人たちがとくに多かったといえます。

 

日本は国際情勢に関して、いかに大きなミスを冒しうるか、何度、強調しても足りません。そのことを指摘するのは、海外で長年、現地の情勢をみてきた私のような立場の日本人の責務であるようにも思います。

 

 拙著『アメリカはなぜ日本を助けるのか』からの引用です。

 

                      =======

「日本での当時の大多数の認識は以下のようだった。

 

『米軍はベトナムを侵略している。日本は日米安保条約に基づき、その米軍に後方基地を提供し、ベトナム侵略を支援している。そんな悪への加担を生み出す日米安保、日米同盟は排すべきだ』

 

ベトナム反戦から日米同盟反対へとつながる理屈の回路はこんなふうだった。

 

しかしベトナムの現地にきてすぐわかったのは戦争全体の構図についての日本での多数派の認識の誤りだった。現地では北ベトナム軍が南ベトナム領内に攻め込むという実態があまりに明白だった。この点だけでも、日本での『米軍対ベトナム人民』という戦争構図は崩れることになるのだった」

                                                         =============

   ベトナム戦争最後の日、北ベトナム人民軍正規軍のソ連製戦車隊が南ベトナムの首都サイゴンの大統領官邸の鉄門を打ち破り、突入して、官邸を占拠しました。ベトナム共和国(南ベトナム)が滅ぼされた日です。

 

 南ベトナムの人民は北ベトナム軍の攻撃を恐れて、多数が国外へと脱出しました。ベトナム戦争が「米軍対ベトナム人民」の闘争であれば、こんな現象は起こりえないわけです。

 

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kanamaruyuji/20090226/20090226122448.jpg

 

菅首相の居直りぶりはもう完全に常軌を逸しています。

 

なんとなく人質をとって、自分の要求をのませようとする絶望的なテロリストさえ連想させます。

 

そのへんの現状を産経新聞の社説で紹介します。

 

                          ======

 

 

【主張】民主党 「人災」の共犯になるのか

 

 菅直人首相の首に鈴をつけるどころか、衆院解散・総選挙をちらつかされてしまった。28日の民主党両院議員総会の印象である。

 民主党としては、首相に退陣時期の明確化を求め、東日本大震災からの復旧・復興が進まない現状を打開する機会とすべきだった。

 だが、執行部や所属議員は、首相に党代表解任動議を突き付けるなど具体的行動はとらなかった。これでは政治空白の拡大は止めようもない。政権政党の責任が厳しく問われている。

 あとは8月末の国会会期末まで様子を見るというのだろうか。首相の居座りを許す民主党も「人災」の共犯とみなされよう。

 首相は第2次補正予算と再生エネルギー特措法案、特例公債法案をいずれも成立させることが、退陣に向けた「一つのめど」となる考えを重ねて示し、これらの実現に協力を求めた。

 加えて、原子力エネルギー政策について「時間が許される中で、新たな方向性を目指すところまでやらせてほしい」と語り、その方向付けが「次期衆院選の最 大の争点」と強調した。「脱原発」路線の是非を問う解散・総選挙を視野に入れる構えを所属議員にじかに示したともいえる。

 出席議員からは、退陣に言及した首相が条件を付けることへの批判や、次期代表を選ぶ選挙を早急に行うよう求める意見が出た。

 首相が閣僚人事に合わせ、自民党に離党届を出した浜田和幸参院議員を総務政務官に起用したことへの批判も相次いだ。

 野田佳彦財務相が「野党に頭を下げて協力をお願いするのが筋だ」と述べるなど、閣僚、党幹部が野党との信頼関係を損なう首相の手法を公然と批判している。この問題一つとっても、政権の体を成していない。

 首相は約1時間で両院議員総会を退席し、時期も含めて退陣を確約させることはできなかった。

 党内の造反勢力が拡大し、6月2日に内閣不信任決議案が可決寸前までいったのは、首相の下では復旧・復興が困難だという判断が党内にも強まったからだ。

 だが、退陣を求める動きはその後、弱まっている。首相を批判しつつ、当面は与党にしがみつこうとする姿を露呈している。執行部も首相批判を具体的な行動で示すべきだろう。

 

「大震災と日米同盟」という題の私の講演記録の続きです。

 

 米軍の支援について語っています。

 

 この米軍の支援が最初は日本側にほとんど報道されなかったのは、なぜなのか。

 

                  ========

 

  

そんな状況のときに起きた日本の大震災でした。

 

 この稀にみる巨大な自然災害にアメリカはどう反応したのか。

 まずこの天災の規模の大きさ、犠牲者の数の多さへのショックです。世界でも最も豊かな部類の、インフラなどの整備の最も進んだ、いわゆる先進国の日本での数千人単位の死者というのは、アメリカからしても、信じられないほどの異様な事態です。気をつけて物言いをせねばなりませんが、バングラデシュやアルバニアというインフラの遅れた国での死亡者多数という天災とは受け止め方が違います。日本での大地震、津波、そして原子力発電所の破壊、とくに放射能の漏れは原発の拡張的な建設を本格的に再開し始めたアメリカにとっても、重大な関心事です。アメリカのマスコミは、日本の大災害を最大限の重大ニュースとして連日連夜、大きく、そして詳しく報道し、、論評し続けました。

 

 アメリカ側の反応は全体として日本への強い連帯を感じさせる、実に心温まる内容でした。アメリカで暮らし、働く私たち日本人のだれもがそのアメリカの官民の善意と同情に満ちた日本への支援や激励には感動させられた、といっても決して過言ではないでしょう。その実態を客観的に日本側に知らせることは、アメリカに滞在する日本人の責務であるかのようにさえ感じます。アメリカにはそれなりの意図があるのだ、というようなシニカルな見方も、もちろんできるでしょうが、現地での見聞では少なくとも私は、そうした斜めに構える受け止め方をとるべきだという材料にはまったくぶつかりませんでした。そのアメリカの対応をいくつかの領域にまとめてお話しします。

 

 まず第一はアメリカの軍や政府を主体とする日本への物理的な救援活動です。米軍は沖縄を含む在日米軍や第七艦隊を総動員して「トモダチ作戦」という救援、支援の活動を展開したことは、すでにご存知のとおりです。米軍は大震災からわずか1週間ほどの間に、合計2万数千人もの陸海空軍の将兵を日本救援活動に投入しました。海軍では原子力空母の「ロナルド・レーガン」を主体に合計20隻以上が三陸沖などに出動しました。ヘリコプターや水陸両用車両を動員して、日本側の避難地点合計90ヶ所近くに人道支援物資300トン以上を送りこみました。海兵隊では沖縄駐留の第31海兵隊機動展開部隊がヘリ約20機、水陸両用車両約150台を投入し、震災から10日ほどの3月22日一日だけで医薬品約8000箱、毛布2300枚を送りこみました。空軍も輸送機を動員し、被災地に必要な発電機、ポンプなどの大型機材をピストン輸送し、一日平均200トン以上の貨物を運びました。陸軍では約500人が支援活動に参加し、被災者たちに毛布を数千枚単位で提供しています。ちなみに毛布について述べるならば、アメリカ全体では寄贈が2万5千枚、さきほど申しあげたように沖縄駐留海兵隊だけで一日に2300枚、一方、中国が国全体として毛布合計2000枚ほどを寄贈したという報道をみました。毛布の数のこのコントラストは米中両国の支援の規模比較としては象徴的です。

 

 仙台空港に米軍の工兵隊がパラシュートで降下して、寸断され、水びたしの滑走路を一日で復旧させたという話も広く伝えられました。しかしその他の米軍の小部隊が多数の被災地で孤立した病院や集落にヘリコプターで種々の支援を提供した話は米軍側では報告されても、日本側のメディアで報じられることは少なかったようです。米軍のこうした救援活動には国防総省は即座にまず3500万ドルほどの緊急予算を組んでいます。しかし、このトモダチ作戦はその巨大な規模と敏速さにもかかわらず、アメリカ側も当初はきわめて地味な発表しかせず、日本側ではあまり報道されませんでした。

 アメリカ側が自国の状況をも踏まえて最も懸念した福島原発の放射能漏れに対してはアメリカ政府の原子力専門家50人ほどを日本側にスピーディに送りこみました。原子力規制委員会から10人ほど、エネルギー省からは40人ほどだったそうです。こうしたアメリカの軍や政府の大模で敏速な支援はやはり日米同盟の堅固な機能を感じさせました。同盟相手だからこそ軍隊を自由に動員しての支援活動だったといえます。(つづく)

 いま懸念の的の中国海軍の動向についての分析です。

【正論】中国軍事専門家・平松茂雄 中国海洋進出は台湾統一の布石

 

 

 

 

 

 ≪70年代から南、東シナ海進出≫

 11隻から成る中国海軍艦隊が6月8~9日、東シナ海から沖縄本島と宮古島の間の海域を抜けて西太平洋に進出した。わが国最南端の領土、沖ノ鳥島から米 軍基地のあるグアム島に至る海域で、軍事訓練・演習を実施したと推定される。中国海軍艦隊が同海域を通過して西太平洋で軍事訓練・演習を実施したのは、4 回目である。

 中国海軍の周辺海域進出は、1970年代に始まり、南シナ海から東シナ海、そして西太平洋へと着実に広がってきた。75年のベトナム戦争終結をはさみ、 米軍が東南アジアから引いてゆく後を埋めるようにして、南シナ海パラセル(西沙)諸島のサンゴ礁(永興島)に埠頭(ふとう)を造り、基地とした。同島を橋 頭堡に、74年には残る南ベトナム(当事)支配下の西沙諸島を押さえ、80年代末までに永興島に2400メートルの本格的な滑走路と通信施設などを完成さ せた。

 中国はそのころまでに、南シナ海のベトナム南部海域に位置するスプラトリー(南沙)諸島にも進出して、満潮時には水没するようなサンゴの岩礁6カ所に領 土標識と掘っ立て小屋を建て、南シナ海支配の拠点とした。各種の通信施設が設置されて、前述の永興島の施設とともに、南シナ海における監視・通信網を形成 している。

 90年代に入ると、中国はフィリピンのパラワン島海域のミスチーフ環礁に海軍基地を設ける。西沙諸島との間の海域には、西太平洋からインド洋へのシー レーン(海上交通路)が縫う。中国は南シナ海海域からベトナム、フィリピンなどの影響力を削ぐ措置をとっており、中国によるシーレーン支配の成否は、米国 の対応にかかる。因(ちな)みに、6月初頭、シンガポールでのゲーツ米国防長官との会談で中国の梁光烈国防相は、南シナ海での領有権争いへの米国の関与を 峻拒(しゅんきょ)する立場を表明している。

 東シナ海では、70年代に海洋調査、80年代に日中中間線の中国側海域でボーリングを実施し、90年代中葉から中間線のほぼ真ん中に位置する平湖ガス 田、今世紀に入り、中間線ぎりぎりの海域に春暁(日本名・白樺)ガス採掘施設を建設した。これらの施設は軍事施設を兼ねるとされる。

 ≪沖縄海域航行した11隻の陣容≫

 20世紀最後の2000年5~6月、中国海軍の情報収集艦が対馬海峡から津軽海峡を経て三陸海岸を南下、小笠原諸島・硫黄島から南西諸島海域を情報収集 しつつ航行した。中国海軍の西太平洋進出のシグナルであった。今世紀に入るや、小笠原諸島・硫黄島から南西諸島に至るわが国の排他的経済水域で数年にわた り海洋調査を徹底して行った。中国はわが国に調査実施許可を求め、わが国政府は即座に許可。調査は南のグアム島に近い海域を含め実施された。

 08年10月、中国海軍司令員が日本を友好訪問中、4隻の海軍艦隊が対馬海峡から津軽海峡を通って日本を一周した。日本近海での海洋調査が完了、日本周 辺海域での艦隊出現のシグナルと筆者は見た。案の定、翌年(一昨年)9月と翌々年(昨年)3~4月、中国艦隊が沖縄と宮古島の間の海域を通って沖ノ鳥島周 辺の西太平洋海域で軍事訓練・演習を行った。

 そして、冒頭の11隻艦隊の出現である。数の多さもさることながら、冷戦時代、米空母も恐れた旧ソ連製のソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦(7940ト ン)3隻、フリゲート艦4隻、補給艦、艦隊航洋曳船(えいせん)、情報収集艦、潜水艦救難艦(複数の潜水艦の参加をも物語る)という陣容の凄さである。こ れほどの艦隊が西太平洋に出てきたのは初めてで、「定期的な訓練・演習」(中国国防省)としているところからして、これを機に西太平洋での軍事訓練・演習 は定期化し、本格化するであろう。

 ≪共産党結党百周年記念の祝杯≫

 海洋進出攻勢の目的は何か。

 「台湾統一」の最大の障害である米海軍、特に空母を台湾に接近させないことにある。中国は建国から10年が過ぎた1960年代以降、米国に到達する大陸 間弾道ミサイル、日本など周辺の米軍基地を狙う中距離ミサイル、台湾を集中攻撃する短距離ミサイルを開発し配備、近年、米空母を標的とし「空母キラー」と いわれる射程1800~2800キロの巡航ミサイルまで開発・配備している。

 中国は、2020年めどの「台湾統一」へ向けて着実に動いている。2021年は中国共産党結党100周年だから、その記念の祝杯を、台北で挙げようというのが当面の目的である。その時、台湾は、「中華人民共和国台湾省」になっているという前提である。

 そして、そうなった暁に、日本はどうなるか。中国に海上から封じ込められかねないのだ。わが国はそれに気がつく必要がある。(ひらまつ しげお)

 




平成23年 (2011) 6月24日[金] 先負

産経新聞 購読のお申し込み

産経Web-Sに掲載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての著作権は産経新聞社に帰属します。(産業経済新聞社・産經・サンケイ)
Copyright 2011 The Sankei Shimbun. All rights reserved.

 

 
MSN産経ニュース
eテキスト
 
バックナンバー
Q&A
 
産経フォト特集
 
戦後史写真館
 
ゆうゆうLife
 

↑このページのトップヘ