2011年09月

 菅政権の特徴だった「市民派」という概念はもっともっと議論されてしかるべきです。いや批判されるべきです。とにかく市民は国家にこだわらない、というのですから。

 

このテーマについて先に論文を紹介した古田博司氏がさらにおもしろい一文を書いています。もう一カ月も前の論文なのですが、遅まきながら、いま紹介したいと思います。それほど興味をひかれた論文でした。

 

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【正論】筑波大学大学院教授・古田博司 現れた国民派VS.市民派の対立
2011年08月26日 産経新聞 東京朝刊 オピニオン面

 大震災、津波でわが国の10分の1程度が機能不全に陥った。そして、それに続く原発事故からの立ち直りをめぐり、わが国全国紙は今、ふた手に分かれて、 その主張を繰り広げている。ひとつは国民派新聞(読売・日経・産経)であり、もうひとつは市民派新聞(朝日・毎日・東京)である。

≪原発全廃か稼働かで違い鮮明≫

前者は、国家経済の健全なる回復をめざすがゆえに、原発の再稼働を辞さない。後者は、市民社会の平和と安全を理想とするために、原発の全廃を唱えている。

市民派新聞で論陣を張るのは、市民派ジャーナリスト・市民運動家・人権派弁護士・市民派大学教授などである。彼らは国家より市民社会を優先させている。あ るいは市民社会は国家と対抗しつつその権力を弱める形で、理想を実現しつつあると考える。従って、市民社会は国家の枠の外にある。

一 方、国民派新聞は、あくまでも国家の中に市民社会があり、まずは国家経済を立て直すことが急務だと認識する。市民社会が国家権力に対抗して自己実現してい るなどとは思いもよらない。目に見える現実を信じているから理想は遠くにある。将来、原発に代わるエネルギーを選択することになるにしても、まずは再稼働 して電力を補わなければならない。さもなければ、安い電力を求めて企業も人材も海外へ行ってしまう。産業が空洞化し失業率は高まる。原発全廃などすれば、 わが国がこれまで蓄えてきた科学技術の多くを失いかねない。と、国民派ジャーナリスト・財界人・国民派論壇人・国民派大学教授らは憂慮する。

≪市民社会は国家の枠内か外か≫

市民派にとっては、そんなことは二の次である。市民社会は国境を超えることが大事であり、数の力で既得権益勢力と闘わねばならない。原発、原爆、戦争、資 本の搾取、植民地支配、ナショナリズムなど、市民がその非人道性を叫び、世界にメッセージを発信していくことこそ重要なのだ。

彼らに は、財界人が、原発再稼働と原発事業の海外展開を唱えれば唱えるほど、「神州不滅」「国体護持」を叫んだ旧帝国軍人に見えてくる。市民派が闘うべき今日の 国体は経済大国であり、その武装解除は市民社会の伸長につながると思うのである。従って、「10年前、いや20年前にもどれ」「低エネルギー社会の先進国 になろう」「日本は東洋のポルトガルでいいじゃないか」と、ことさらに国の弱体化を願うのである。

私は国民派の大学教授である。だから 市民派の読者がこの論考を読めば、市民派への偏見をもって書かれており、価値相対主義的ではない、客観的ではない、と判断されることだろう。だが、ここに 書いたことは、全て市民派新聞から抜粋したものであり、それらを羅列したにすぎない。そしてこうした事象から見えるのは、諸君がかつての冷戦時代の社会主 義者、社会民主主義者の子孫であり、社会主義体制の世界的な凋落(ちょうらく)から身を守り、先祖と変わり映えしない主張を市民派の外皮を纏(まと)って しているのだという事実である。

≪外皮纏った社会・社民主義者≫

欧米先進諸国では、社会民主主義は1990年代にす でに終わったと認識されている。グローバル化という新しい資本主義の攻勢と冷戦の勝者で当初独り勝ちだった米国の新自由主義に対し、欧州の左派たちは一斉 に反発した過去がある。社会民主主義者たちは、環境保護団体などの国境を超えた政治的連帯、あるいは複数の国家の多文化的な協力関係が必要だと主張し、自 分たちの国家にさまざまな修正を働きかけていった。

しかし、現実は彼らよりさらに先に進んだ。2008年に米国に端を発する金融大崩壊 が起き、米経済は一気に沈滞化し、世界は米一極に耐えられず無極化してしまう。欧州連合(EU)内でも破産国家が顕在化し始めた。そして、ノルウェーの 7・22テロ事件に見られるような、多文化主義に対する攻撃まで起きるに至った。

スロベニア生まれのスラヴォイ・ジジェクは08年の リーマン・ショックを経て、こう自己認識する。「じつは進行中の危機の最大の犠牲者は、資本主義ではなく左派なのかもしれない。またしても世界的に実行可 能な代案を示せないことが、誰の目にも明らかになったのだから。そう、窮地に陥ったのは左派だ。まるで近年の出来事はそれを実証するために仕組まれた賭で あったかのようだ。そうして壊滅的な危機においても、資本主義に代わる実効的なものはないということがわかったのである」(『ポストモダンの共産主義-は じめは悲劇として、二度めは笑劇として-』)

自らを「市民」とよぶ修正主義者は日本だけの特徴だが、日本ではこの市民派が現在、執権し ている。陣容は、市民運動家、人権派弁護士などで、市民運動家が闘うべき「既得権益層の子弟」もいる。労使協力の原発労組から後援を得ている議員もいる。 残念だが、欧州より遥(はる)かに古くさい日本型市民に社会改革ができるとは到底、思われないのである。(ふるた ひろし)

 

タバコについての議論となると、誰も中立の立場というのはなかなかとれず、感情的な主張に走りがちです。私自身の反応にも、その傾向があります。

 

だから公開の場でのタバコ論議は慎重に、ということになるのかもしれません。しかしたまにはいいでしょう。

 

とくにいま野田政権がタバコ増税への意向をちらつかせています。

 

ここでは秦郁彦氏の主張を紹介します。

 

 

【正論】現代史家・秦郁彦 たばこ増税策の「不都合な真実」


 

 

 

 野田佳彦内閣は懸念された通り増税へと踏み出した。27日夜に政府・民主党が決めた東日本大震災からの復興に伴う臨時増税案の中で、たばこ増税に注目したい。

 同案では、来年10月から1本につき2円増税し、10年間にわたり計2兆2千億円程度の増収を見込んでいるという。増税規模全体、9兆2千億円のざっと 4分の1である。これにより、20本入り1箱は、メーカー上乗せ分を含め60円以上値上げされ、現在440円のものは500円を超しそうだ。

 たばこ増税については、新任閣僚の第一声で、小宮山洋子厚生労働相が口火を切っている。9月5日の記者会見で、厚労相は「非常にたばこの価格が安い。世 界平均は600円台だ」(傍点筆者)として、毎年100円ずつたばこ税を引き上げ、「700円台(20本入り1箱)まで(値上げしても)税収は減らない。 そこまでたどりつきたい」と持論を展開した。

 数字の大きさに当惑したのかどうか、安住淳財務相は「個人的な見解、ご高説は承るが、所管は私だ」と不快感を表明し、「閣内不一致?」と各紙が評したので、厚労相も少しトーンダウンしたが、「厚労省を代表して述べた意見」と抗弁する“確信犯”ぶりだ。

 ≪税収増だめでも健康増に?≫

 援軍もいる。医師や運動家から成る日本禁煙学会は、早速、12日に「1箱700円は安い。先進各国に合わせて1000円にすべきだ」などとする要望書を 厚労省に提出した(13日付産経新聞)。1000円案は日本財団会長の笹川陽平氏が本欄で繰り返し書かれている(最近では8月22日付)。

 こんな状況であってみれば、今回のたばこ増税-値上げが期限切れ後も定着するばかりか、さらなる段階的値上げも後に続くと愛煙家は覚悟しなければなるまい。

 一つには、いずれのたばこ増税提言にも、「税収増につながらない場合も、国民の健康増進に役立つ」「やめたいと思っている喫煙者を後押ししたい」といっ た禁煙思想の本音があるようにみえるからだ。減収になったとしても代わりに国民の健康は増進したではないか、と胸を張れるのである。

 だが、健康増進を重視するのであれば、国民が聞きたいのは、何より原発事故に起因する放射能汚染の収拾策ではないか。他にも、年金問題など厚労省の所管 事項で早急な処理を迫られている課題は少なくない。原理主義的な禁煙論なら、「法律で禁止するよう、正面から主張したらいい」し、「病院で禁煙治療を推進 する施策」(いずれも9月11日付のMSN産経ニュース)を進めればよい。

 ≪1000円で心配な副作用≫

 もっとも、1920年にアメリカで実施し、密造酒とギャングの横行に閉口して13年後に廃止した禁酒法にならって、禁煙法を制定するのは副作用が大きす ぎる。たばこのネットでの直接輸入や、東アジア地域からの密輸が激増するだろうし、中国漁船の取り締まりさえままならぬ海上保安庁にそれを阻止する能力が あるとは思えない。1000円という禁止並みの値上げでもリスクは同じだろう。

 とかく見落とされがちだが、50年代に53%だった日本人の喫煙率は2000年は33%、09年には25%と低下し続けている。それに連れて、年間2兆 円前後だったたばこ税収入も減少を続け、この9年間に約2割落ち込んでいる。10年秋の大幅値上げの効果はまだ見定められないが、現行のまま放置していて も、喫煙率や税収は自然に減っていくはずである。タバコ農家や小売店の生計を考えても、そうした軟着陸方式が望ましい。

 それでも、「先行して1000円時代を迎えた欧米で引き続き20%台の喫煙率が維持されている」(笹川氏)と指摘されているように、日本での喫煙率もそろそろ、下げ止まりに近づきつつある。

 ≪日本のたばこ決して安くない≫

 ネット情報をのぞいてみると、昨年の値上げ以降は、根元まで深く吸い込んだり酒食費を減らしたりする涙ぐましいばかりの対策を見聞きする。吸える場所が 減ったので、健康に悪いと知りつつ吸いだめしてしまう、とこぼす人もいる。こうなると、喫煙をやめられない20%台の人、特に低所得層への“いじめ”とし か思えない。

 ちなみに、値上げ論者が一様に強調する「日本のたばこ価格は安すぎる」という立論には、疑問がある。国によって地域によってたばこの価格は多様だから、 単純な比較は危険ながら、通貨の代わりに流通している国もあるマルボロの価格(1ドル77円で換算、アメリカでは409円)を例に取って比べてみると、 440円の日本は、首位のイギリス(863円)、フランス、ドイツ、イタリアに続いて、39カ国中第5位(ユーロモニター調査)である。

 各国の平均価格を調査した世界保健機関(WHO)の「たばこアトラス」でも、ノルウェー(920円)を筆頭に、日本は19位(410円)で、アメリカは 20位。以下、韓国(50位)、中国(61位)、ロシア(82位)と続く。どうやら、日本のたばこは安すぎると卑下する必要はなさそうだ。(はた いくひ こ)

興味を引かれる本が出ました。

 

三浦小太郎著『嘘の人権 偽の平和』(高木書房刊)です。

著者の三浦氏は早くから北朝鮮の人権弾圧やその北朝鮮を擁護する日本側識者などを取り上げて批判的に論じてきた気鋭のジャーナリストです。

 

この書で私が最も関心を強く引かれたのは姜尚中氏批判の章です。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4884710851.jpg

 

 姜尚中氏といえば、いうまでもなくNHKや朝日新聞でプレーアップされる在日韓国系の学者です。私もフジテレビの番組で一度、顔を合わせ簡単な討論をしたことがありますが、個人としては礼儀正しく、好感を受ける人物でした。しかもごご自身が日本人ではないことをはっきり認め、日本安全保障や外交政策を論じる場合の基点となる「国益」は彼には日本の利益を意味しないことをも是認していました。

 

 さて三浦小太郎氏のこの著書には「姜尚中批判 偽善的平和主義を批判する」という一章があります。

http://www.nissoken.jp/seminar/5thforum/img1/PortraitKang01.jpg

 その章の柱は以下のようです。

 

 「党派制にとらわれる事は知識人としての自殺である」

 

 「北朝鮮で抑圧されている民衆からなぜ目をそむけるのか」

 

 「余りにも一面的な朝鮮半島戦後史への解釈」

 

 「朝鮮戦争時に在日朝鮮人を支持したのは歴史的な誤り」

 

 「北朝鮮全体主義体制を直視しない姜氏の混迷」

 

 「太陽政策こと北朝鮮民衆を見捨てる」

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マスコミ主流派での寵児を正面から批判するというのは、かなりの勇気を要する作業でしょう。

 

 

 

 日本の安全保障がおきざりにされていく観があります。

 

 そんな現状を踏まえて、田久保忠衛氏が鋭い論評をしています。

 

 

【正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 安保再改定と同時に憲法改正も  


 

 

 

 産経新聞が日米安全保障条約の「片務性」を「双務性」に改めるべしとの再改定案を世に問うた。国内政治の醜態と外交・防衛への政界の無関心に愛想が尽き ていたときだけに、久しぶりに新鮮な言葉を目にする思いがした。たまたま野田佳彦首相は初の日米首脳会談に臨んだが、その際、再改定案をオバマ大統領に提 示したら、どんな反応が起きただろうか。米民主党内のリベラル派に属していた大統領ではあっても、いまの国際情勢の大局を観(み)ている政治家であれば、 日本の防衛体制強化の意図をくみ取り、固い握手を野田首相に返しただろうに、と思う。

 

 私は大統領の忍耐力に心から同情する。野田首相は日米同盟が日本外交の基軸だとの信念が東日本大震災で支援を受けて揺るぎないものになったと述べ、安全 保障、経済、文化の人的交流の3本柱を中心に同盟関係を「深化」させたいと表明したという。この種の表現は何回繰り返されたか。大統領が米軍普天間飛行場 移設や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加の問題の「できるだけ早い」解決を迫ったのも分かる。

 

 ≪60年安保改定は国家の土台≫

 1960年の安保改定は国家の土台となった。岸信介首相は、旧安保条約が日本を属国視していると捉え、特に第1条「駐留軍の使用目的」の、「一または二 以上の外部の国による教唆または干渉によって引き起こされた日本国における大規模の内乱および騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて」と いう、いわゆる内乱条項を独立国家の屈辱と感じた。しかも条約に期限も付けられていなければ、政治家でなくても理に合わぬと考えるだろう。

 

 にもかかわらず、日本中が引っくり返るような反安保改定騒ぎは何故(なにゆえ)生じたのか。再改定案特別研究チーム主査、佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授は 「当時の反対運動の闘士の多くと知り合ったが、彼らは異口同音に条約なぞは読まなかったと回顧した。反対理由は『巣鴨帰りの岸の仕事だから』だった」と書 いている。同じ世代で、同じ経験と同じ思いを持つ。

 

 生命の危険を感じたほどの大群衆に取り囲まれ、マスコミの一斉批判に遭いながら、岸氏は初志を貫徹した。条約の不合理を考えようとせず、外国から辱めを 受けても国辱と受け取らず、「あくまでも国民の目線で…」と臆面もなく自分に有利な票だけを追い求めるいまの政治家たちは、安保騒動など関心の外なのかも しれない。

 

  ≪集団自衛回避封じた再改定案≫

 安保改定提言の第一の意義は、アジア・太平洋地域で発生しつつある劇的な国際秩序の変化の中で60年間、手を付けようとしなかった日米安保条約の片務性 を改めて国民の前に明らかにしたことだろう。核心は「米国は日本を守るが、日本は基地提供だけで事実上米国を守る義務を負わない」性格の条約がいまの国際 情勢の中で通用するかどうかの問い掛けだ。第二は、集団的自衛権の行使は憲法解釈上できないと逃げ回ってきた議論を封じた点である。条約第5条に「個別的 又は集団的自衛の固有の権利を行使して、共通の危険に対処する」との文言を盛り込めば疑問の余地は解消する。

 

 アジアでは国際秩序の地殻変動が進行中である。軍事大国、経済大国になった中国が勢力を外に伸ばし、東シナ海、南シナ海、インド洋などで、日本を含む近 隣諸国との摩擦が激しさを増している。経済成長に伴う資源獲得、自ら煽(あお)り立てたナショナリズムの帰結、国内不満の転化など複雑な原因が重なって、 国際的基準に合わない言動を続けているとしか考えられない。これに対し、米国は大統領以下、「米国は太平洋国家だ」と確言し、ヒラリー国務長官は中国の台 頭を前に米軍が撤退したりしないと言明したばかりだ。

 

 ≪真の同盟、アジアの安全弁に≫

 米国の軍事力は群を抜いており、中国の軍事力との均衡が簡単に崩れるとは考えられないが、米中枢同時テロを契機に開始したアフガニスタン、イラクへの軍 事介入に、米世論は「内向き」になっている。イラクから年内に米軍は撤退するし、2014年にはアフガニスタンから大部分の米軍は引き揚げる。さらに、財 政悪化の大きな負担が国防費にかかってきている。先のNATO(北大西洋条約機構)軍によるリビアのカダフィ政権攻撃で、米軍が主導権を取らなかったのは 異例であろう。

 

 日米同盟の強化が自国の安全と世界戦略的視点からいかに重要になってきたかは、ここで強調するまでもない。安保再改定と同時に憲法改正が必要だと私は考 える。日米同盟関係を対等にするには、自衛隊を最終的に「国防軍」に改める必要がある。普通の民主主義国が持つ正しい意味のシビリアン・コントロールの下 で自己完結的な「軍隊」を保有しない限り、対等な同盟関係は実現できない。

 

 「強い日本」は米国離れを意味せず、「強い米国」との真の同盟に基づきアジアの安全弁になる。戦後体制から脱却して、価値観を同じくするアジア諸国に信頼される役割を演じる展望が開ける。(たくぼ ただえ)

民主党の祖、小沢一郎氏もこんどの元秘書3人への有罪判決で、ついに内堀を埋められたという感じです。

 

ついに小沢城落城なのか。

 

それにしても民主党という政党はこの小沢一郎という楼閣に築かれた存在です。それが楼閣が崩れたとき、どうなるのか。

 

さらには法廷で腐敗が証される「小沢体制」に民主党の現執行部がどうのぞむのか。自浄はないのか。

 

産経新聞の社説がこうした諸点への意見を述べています。

 

 

【主張】小沢氏と国会 辞職勧告決議で自浄示せ

 

 国権の最高機関たる国会は、今こそ政治とカネの問題で自浄能力を発揮しなければならない。

 

 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、起訴された元秘書3人全員に有罪判決が下されたことは、管理者としての小沢氏の政治的かつ道義的責任を明白にした。

 

 野党が有罪判決を受けた石川知裕衆院議員に対する議員辞職勧告決議案の提出を決めたのは当然だ。だが、肝心の小沢氏への辞職勧告決議案の可決や証人喚問の実現は望めない情勢だ。

 

 自民党の加藤紘一元幹事長は、所得税法違反事件で事務所代表が逮捕されたのを受けて離党し、議員辞職した。最近も、鈴木宗男元衆院議員ら4人に対する辞職勧告決議案が可決された。国会は小沢氏の場合、なぜ躊躇(ちゅうちょ)するのか。

 

 26日に有罪判決が伝えられた直後、自民党の石原伸晃幹事長は衆院予算委員会で「管理者としての小沢氏の責任は極めて重く議員辞職に値する。国会でしっかりと自身の考えを話す責務がある」と述べ、小沢氏の議員辞職と証人喚問を主張した。

 

 だが、民主党の輿石東幹事長は会見で「いずれも党として考えていない」と一蹴した。

 

 野田佳彦首相は27日の衆院予算委で「政治家の出処進退は本人が判断すること」と語り、証人喚問については「(強制起訴された)小沢氏の裁判に影響を与える」と、慎重に判断すべきだとの認識を示した。

 

 判決を受けても、野田内閣や民主党執行部は自浄努力を示す考えはないようだ。党員資格停止中の小沢氏を除籍とするなど、より厳しい処分を検討する動きもみられない。政権与党として「政治とカネ」に決別する気がないということなのだろう。

 

 ならば、国会として事態を動かさなければ、小沢氏が政治活動を続けるのを容認することになる。小沢氏に対する決議案を温存しているのだとすればおかしい。

 

 今国会は30日で閉会を迎える。野党は会期の再延長を求めると同時に、小沢氏への決議案提出に直ちに動かなければならない。

 

 自民党の谷垣禎一総裁は「一致して政権を追い詰めたい」との方針を示した。それには、小沢氏への辞職勧告決議案提出で野党をまとめ上げることだ。

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