2011年12月

 さてアメリカの新年の最大政治イベントはもちろん大統領選挙です。

 

 その一端がはやくも1月3日のアイオワ州共和党党員集会で始まります。

 

 以下のような記事を書きました。今朝の産経新聞朝刊です。

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                 (ミット・ロムニー)

 

 http://www.nndb.com/people/487/000024415/gingrich-port.jpg

        (ニュート・ギングリッチ)

【朝刊 国際】


【緯度経度】ワシントン・古森義久 大統領選挙と歴史の類似


 

 2012年は周知のように米国の大統領選挙の年である。振り返れば、私が米国大統領選を体験した回数もずいぶんと多くなった。はっきり報道の対象としてかかわった初の選挙は、1976年の共和党フォード大統領と民主党カーター前ジョージア州知事との対決だった。

 

 以来、80年のカーター対レーガン、88年の先代ブッシュ対デュカキス、92年の先代ブッシュ対クリントン、96年のクリントン対ドールの対戦も直接に 取材にあたった。2004年のG・W・ブッシュ対ケリー、そして08年のオバマ対マケインの選挙戦もたっぷりと体験した。

 

 実際に目撃し、接触した合計7回の選挙キャンペーンのなかで現在の選挙戦の形からまず連想するのは1992年の実例である。選挙はまさに水もの、目前の光景からはるか先の結果を予測することの危険への教訓でもあった。

 

 当時のブッシュ大統領は投票の1年ほど前にはなんと90%という史上最高の支持率を得ていた。ソ連の崩壊にみごとに対処し、湾岸戦争ではイラクのク ウェート占領をうまく粉砕し、無敵の騎士のようだったのだ。現職大統領の超人気に野党の民主党側では当初、正式の名乗りをあげる候補が出ず、「白雪姫と7 人の小人」という表現をも生んだ。グリム童話のように魅力ある姫のまわりを7人の小型の人物たちが動き回るだけ、という意味だった。

 

 オバマ大統領に対する共和党候補は今月中旬の討論会ではちょうど7人だった。ロムニー、ギングリッチ、ペリー、バックマン、サントラム、ハンツマン、ポール各氏からは、これぞという決定的な印象が伝わってこない。

  

 だが92年のブッシュ大統領は支持率を30%台にまで落とした。失業、不況、財政赤字、指導力欠如という要素が原因にあげられた。ここでも現在への類似を思わされる。

 

 現状への政策面での類似を感じさせるのは、80年の民主党リベラル派のカーター大統領と共和党保守派のレーガン候補の対決である。カーター氏は国内的に は「大きな政府」に徹し、福祉や公共事業を増大し、企業の規制を強め、対外的にはソ連へのソフトな融和路線を推した。その結果、財政赤字が記録破りにふく れあがり、金利とインフレを高め、失業を増した。ソ連は増長し、アフガニスタンに大侵攻した。

 

 レーガン氏はこの政策のすべてに反対する超保守主義を掲げた。「小さな政府」と防衛力強化を進め、自助努力や民間活力の重視を唱えた。これらの政策は功を奏し、保守主義は米国の政治史でも初めて草の根に浸透した。

 

 リベラル対保守のイデオロギー面での対決は今回の選挙でも最大の特徴の一つである。表面ではオバマ大統領の経済運営の不備からの高失業率などが争点にみ えるが、共和党側は、攻撃の真のホコ先は連邦政府の役割を拡大するリベラリズムの「大きな政府」策へと向けている。オバマ大統領の施策を国家の権限を増す 社会主義的志向とまで断じ、思想や理念の対決を挑んでいるのだ。

 

 さて米国の大統領選に温故知新の教えがどこまで生きるのか。これからの10カ月ほど、またみきわめたいところである。

 

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http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/Mbachmann.jpg

             (ミシェル・バックマン)

 

http://mittromneycentral.com/uploads/450x351-alg_texas_rick-perry.jpg

 

                                            (リック・ペリー)

 

 http://wonkroom.thinkprogress.org/wp-content/uploads/2011/02/santorum.jpg

             (リック・サントラム)

 

http://jp.wsj.com/var/plain_site/storage/images/media/candidates_09_huntsman_659_439.jpg/7901714-2-eng-US/candidates_09_huntsman_659_439.jpg_slideshow.jpg

                (ジョン・ハンツマン)

 

 http://www.fight4truth.com/Ron-Paul-American-Flags.jpg

                                     (ロン・ポール)

 

 

 最近の日本人拉致事件の解決を求める会議で、民主党の国会議員から注視すべき提案が出ました。

 

 日本のODA(政府開発援助)を拉致解決に協力しない諸国には停止しようという案です。

 

 名案だと思います。

 

 日本の国民の資金であるODAは日本の国民の福祉のために使われるべきです。

 

 この提案をしたのは谷田川元衆議院議員です。

   
   
   
   
 

救う会全国協議会ニュース★☆(2011.12.29-3)「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」国際セミナーレポート[2]-3

 

■「拉致被害者はなぜ生きていると言えるのか」国際セミナーレポート[2]-3

 

◆北朝鮮人権決議への反対国には日本のODAは供与できないと伝えよ

 

谷田川元(衆議院議員、民主党)

http://iryokoso-chiba.org/images/no3/shinpo3_sh_yatagawa.jpg

 

 

 私は、11月28日に、北朝鮮による拉致問題特別委員会で質問を致しました。

 

その中で取り上げたことですが、日本外交の地道な努力の結果、国連の委員会における北朝鮮の人権決議で112か国が賛成しました。北朝鮮による拉致事件の被害者を即時帰国させ、北朝鮮の人権状況を改善させる決議案ですが、過去最多の賛成となりました。

 

 反対が16か国あります。危険も50数か国ありますが、反対の16か国の内、日本のODAが供与されている国が、何と14か国あります。ロシアと北朝鮮を除く、中国とかミャンマーとか、エジプト、イランです。北朝鮮の人権決議に反対する国に、皆さんの税金をなぜ使う必要があるのでしょうか。

 

 外務省は嫌がりますが、例えばアメリカには、人権の問題がクリアーできないと援助できないという法律があります。アメリカの場合は議会の力が強いですからそういうものが出されています。

 

 主要援助国で見ますと、ODAの供与について法律的な枠組みを決めているところはないようですが、この際、すべての日本の閣僚は、拉致問題は日本の国家主権の侵害だという言葉を使っています。国家主権の侵害であれば、日本が提案する北朝鮮人権決議に対して、反対国には日本のODAは供与できないと、こういうメッセージをしっかり伝えるべきだと思います。それが中国へのメッセージにもなると思います。

 

 外務省の官僚の方々は、ODAには色々な状況がありますといいますが、国連の決議では賛成、反対、棄権があります。賛成できなくても棄権でいいと言えば、賛成国がもっと増えると思います。是非このことを超党派で進めていきたいと思います。

 

 

 

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■野田首相にメール・葉書を

 

首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。

 

下記をクリックして、ご意見を送ってください。

 

[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html

 

[携帯]https://www.kantei.go.jp/k/iken/im/goiken_ssl.html?guid=ON

 

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿

 

■救う会全国協議会ニュース

 

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)

 

TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784  http://www.sukuukai.jp

 

担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)

 

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905

 

カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会

 

みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎

 

 日本の国家安全保障についての私の論考の続きです。

 

自国の安全をアメリカの軍事力にゆだね、自分たちは「軍事力はいけない」と逆に説教をする。それでは北朝鮮や中国が軍事力を武器に日本に対し領土の割譲や資源の放棄を迫ってきた場合、どうするのか。

 

北朝鮮が公然たる核兵器保有国となった場合、日本はどうするのか。

 

現実を自分たちの課題として考えざるをえない時期が迫っています。

 

なお原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34046

 

                                  =======

  その場合、北朝鮮はもう外部からの圧力などでは絶対に後退させることのできない公然たる核兵器保有国となる。米国当局は実はもうその場合への対策 まで構築しているが、日本はどうなのか。その種の核ミサイルの射程に完全に入る日本にとって、その核弾頭完成がまったく準備のない衝撃とはならないことを 期待する」

 

 北朝鮮が公然たる核兵器保有国となり、しかもその核の大量破壊力を日本への恫喝に使ってきた場合、日本はどうするのか、なんの対応策も考えてはいないのではないか、という懸念の表明でもあった。

 

 日本は核に「とにかく反対」という情緒的なレベルでのエネルギーは強くても、自国への核の脅威というような事態への対応は、想定の対象にさえなっていないようだ。

米国が庇護してくれる時代は過ぎ去った

 北朝鮮の不測の事態への日本の対応能力に対する疑問は、前述の10月20日付リポートで紹介した米国の国防大学国家戦略研究所(INSS)のシミュレーション(模擬演習)報告でも明確にされていた。

 

 もし金政権が崩壊して、米軍あるいは中国軍が介入の気配、というような危機が起きた場合、日本は米国の同盟国として歩調を合わせる行動は取れない、取らないだろう、という予測だった。

 

 かといって、日本が独自の一貫性のある対応を取るとも予測はしていなかった。要するに、日本は北朝鮮の危機や有事には戸惑う一方で、明確な対応の態勢ができていない、という診断なのである。

  

 こうした米国の考察には、日本が「有事や危機に確固たる対応のできない国家」「安全保障の支えとなる軍事という現実をとにかく忌避するだけで、抑 止という国際的に自明な対策のない国家」だとする認識が明白だと言える。戦後の日米関係の長い歴史では、米国はそうした軍事アレルギー、防衛忌避という国 際的に異端な日本の基本を承知の上で、事実上の庇護をしてきたわけだ。

 

 だが、もうそうした時代や環境は去ったとする見解が、今の米側の主流なのである。その結果、米国では本来は軍事や同盟をかなり軽視する傾向のあったオバマ政権でさえ、日本に対し、普通の同盟パートナーとしての防衛や軍事の負担を求めるようになったのだ。

 

 軍事や安保からはとにかく顔をそむけ、米国にその対処を委ね、経済活動に専念するというのが戦後の日本の国家的針路だった。国民多数の支持を得たという意味では、国民的針路だったとも言えよう。

  

 だが、今や日本に隣接する周辺の状況が、そして日本の防衛を肩代わりしてきた米国の現実が、日本にそうした針路の継続を許し難くし始めたのである。そうした変化が2011年の激動の波によって日本に突きつけられたのだ。(終わり)

 2012年というさらなる激動の年を迎えるにあたって、日本の安全保障面での課題難題についての論評です。

 

中国の軍拡、北朝鮮の核武装という二つの脅威がふくれあがるなかで、わが日本は機能麻痺のように「平和」という言葉をおまじないのようにとなえる域を出ていません。

 

いったい日本はどうなるのでしょうか。

 

民主党政権が宣伝してきた「日米同盟の深化」という言葉が質の悪い冗談のようにひびくこのごろです。

 

日本ビジネスプレスの私の連載からの転送です。

 

原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34046

 

 

                          ======

 日本の安全保障にとってもその意味は深い。このシフトの主要な原因は、中国の軍拡への対応である。北朝鮮への抑止という目的も密接にからんでいる。

 

 米国のこうした「アジア重視」の新たな動きについては、この連載コラムで何回か伝えてきた。特に「日本が中距離ミサイルを配備する日」(2011年10月5日)というリポートでは、米国側の新しい対中軍事態勢を踏まえての同盟国としての日本への期待について詳述した。米国歴代政権でアジア安保政策を担当した元高官ら5人の調査と提言だった。

 

 その中では「21世紀のアジアの同盟」と題する部分で、日本に対して、概略として以下のことを求めていた。

 

・戦後の年来の軍事抑制を撤回し、無抵抗平和主義を放棄する。
・南シナ海などの海洋の防衛や抑止に大幅に参加する。
・中国の台湾攻撃への抑止として南方防衛を強化する。
・中国が増強する中距離弾道ミサイルへの抑止として同種のミサイルを配備する。

 

 いずれも日本の現状からすれば、実行は極めて難しい戦略目標だろう。今の民主党、野田政権下では、「とんでもない」として一笑に付される提案もあるだろう。だが、同盟国としての米国の期待は今やここまで高くなったのだ。

 

 米国と日本は同盟パートナー同士でありながら、安全保障への認識や目標にはそれほどのギャップが広がってきた、ということでもある。

北朝鮮の恫喝に日本はどう対応するのか

 そして、その後に起きた異変が北朝鮮の金正日総書記の死去だった。

 

 この事態にも、米国では精密な事前の研究をしていたことは、当連載の10月20日のリポート「米国は見透かしている、北朝鮮崩壊時の日本の中途半端な対応を」で伝えた。さらに実際に金総書記が死んだ後の北朝鮮にはどのような危険要因があるのか、特に日本への意味も含めて、12月21日付のリポート「米国が北朝鮮新政権に抱く3つの懸念 実力不足の後継者は何をしでかすのか」で報告した。

 

 後者の報告では、議会調査局で長年、北朝鮮の分析を続けてきたラリー・ニクシュ氏が特に深刻な懸念を表明したのが、北朝鮮がついに弾道ミサイルに装備する小型核弾頭を完成させるという展望だった。私はその報告には書かなかったが、同氏は以下のことも実は述べていた。

 

 「北朝鮮は、スカッドやノドンという中距離、長距離の弾道ミサイルに核弾頭を装着して、発射できるようにする実戦配備が、核武装での長年の最大目標だ。あと2年ほどでそれを達成する危険性が高くなった。

 

(つづく)

 2012年の新世界は日本にとっても非常に不安な安全保障環境となりそうです。

 

そのなかでも世界の首都とも呼べるワシントンでは、日本への不満と期待とが高まり始めました。

 

その結果、アメリカ側はこれまでの日本の戦後の平和主義(平和を重んじる主義という意味ではなく、武力には抵抗しないという主義)を非難するようになるだろう、というのです。すると、日本側も米国の期待をはねつけるにせよ、その求めに応じるにせよ、戦後の安保政策の根幹が揺られることとなります。

 

日本ビジネスプレスの古森義久の連載コラム「国際激流と日本」からの転載です。

 

原文へのリンクは以下です。

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34046

 

                                 ======

2011年もいよいよ終わりが近づいた。年の終わりを機に日本の内外の出来事を振り返ると、国難と呼べる東日 本大震災が3月に起きたことが、当然ながら最初の重大ニュースとして想起される。だがその次には、日本の安全保障の環境が激しく変わったことが大きな出来 事だと言えよう。

 

 ただし安全保障の環境の変化は、地震や津波のように目にみえる一瞬のニュースとして起きはしない。いくつもの現象や傾向が重なり合い、相乗し合い、巨大な潮流のような変化を生んでいく。そんな変容だと言える。

 

 だが、その変化への日本の対応能力があまりに貧弱に見えるのである。この点にはまさに日本という国家への大きな危険がちらついている。新しい年の日本にとって、切迫した課題だと言っても過言ではない。

 

 日本の安全保障の変容としては、まず中国の軍事動向からの大きな影響が挙げられる。中国の海軍や空軍の大増強は、もう疑問の余地のない事実である。その軍拡は中国の領有権の主張や資源獲得の争いに陰に陽に利用される。

 

 日本との領有権紛争や資源争いでも、中国がそうした軍事力の効果を少なくとも「無言の威嚇」として使うという現実は2011年には様々な形で示唆され、実証されたと言える。

 

 さらには、北朝鮮の金正日総書記の死去による政治の激変があった。北朝鮮の次期最高首脳として28歳の金正恩氏が選ばれたが、内部からの反発が火を噴いた場合、その混乱が日本にも影響を及ぼすことは不可避だろう。

 

 まして北朝鮮はすでに日本全土を射程範囲に収めた弾道ミサイルを多数、保持している。しかも、今や年来の核兵器開発の成果を弾道ミサイルに装備できる核弾頭として完成させる日が近づいている。

無抵抗平和主義の放棄を日本に迫る米国

 他にも日本の安全保障への暗い影が広がる要因はあるが、まず中国と北朝鮮という2つの原因から考えてみよう。日本への影響を米国側の視点や期待から眺めると分かりやすい。

 

 米国がイラクやアフガニスタンからアジアへと軍事戦略の最重点をシフトさせる方針を打ち出したことも、2011年の大きな出来事の1つだった。

(つづく)

 

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