これまた遅かりしなのでしょうが、いま話題の書「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読み終えました。
700ページもの大作です。すごくおもしろい内容です。作者の増田俊也氏の労作には心からの敬意を感じます。増田氏自身が北大柔道部の出身だそうで、柔道やその他の格闘技の実技に詳しいので、ことさらに読みごたえがありました。
しかしこの大作を読み終えてまず感じたのは、全編を流れる陰鬱な基調でした。とにかく暗いのです。私も青春時代に精力を柔道に注いだのですが、だからこそ、この書に描かれた木村政彦という覇者の一生にやりきれないほどの暗さを感じたのか。あるいは木村政彦氏という人間の超人ふうなところに暗澹たる気分にさせられたのか。そのへんは不可解なままです。
筋書きを詳しく紹介する必要はないでしょう。
力道山V.S.木村政彦のプロレス試合の展開はすでに広く知られた事実です。だがその真相はどうだったのか。背後にはなにがあったのか。この書は柔道そのものについても多方面からの光をあて、歴史をさかのぼり、全世界をも俯瞰して、詳述しています。
だがそれでもなんともいえない暗い気分とともに、なぜ? なぜ?という疑問が多く残ります。答えは浮かんできません。こんなところが本当に私の読後感なのです。
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出版社/著者からの内容紹介昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和 の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはい え、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の 折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹 の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて 切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳\xA1
細に描く、大河巨編!! 内容(「BOOK」データベースより)昭和29年12月、活動の場をプロレスに移した木村政彦と、人気絶頂の力道山との一戦。「昭和の巌流島」と呼ばれ、視聴率100%。全国民注視の中、最強 柔道家は、力道山に一方的に潰され、表舞台から姿を消した。「負けたら腹を切る」という、武道家としての矜持を持っていた木村はなぜ、簡単に敗れたのか? 戦後日本スポーツ史上、最大の謎とともに木村の数奇な人生に迫る。『ゴング格闘技』大反響連載、待望の書籍化。 |