2012年12月

 日本経済新聞といえば、立派な新聞です。その日ごろの論調も自由開放の市場経済支持、日米同盟の支持、刷新や改革の支持と、納得ができます。中心となる記者たちにも尊敬できる人が多いと長年、感じてきました。

 

 しかし肝心の論説委員長がこんな愚かな偏向記事を書いていることには、びっくり仰天しました。

 

 12月31日朝刊の「核心」というコラム記事です。見出しは「1931年からの警鐘」となっています。「二大政党の失敗教訓に」という第二の見出しもあります。筆者は日本経済新聞論説委員長の芹川洋一記者です。

 

 見出しからも明白なように、いまの日本の政治状況は満州事変の始まりの1931年(昭和6年)に酷似しているというのです。だからいまの安倍政権の政策やそれに対する日本国民多数派の支持は危険だと示唆するのです。

 

 いやはや八つ当たりというか、暴論というか、はちゃめちゃの屁理屈ですね。

 

 その芹川委員長の記事の中心は以下です。

 

「1931年秋とは、9月18日におきた柳条湖事件のことだ。満州事変のはじまりである。2011年9月11日の尖閣諸島の国有化をきっかけに、中国緒とのあつれきがつづく今の時代の空気は、どこか満州事変で平面が右側に動いた31年ごろに似ているのではないだろうか」

 

 へええ、そうなんですか。

いまの日本は満州への進出を始めたときの日本と同じなんですか。

 

 この筆法は歴史乱用の悪魔化レトリックです。

朝日新聞の若宮啓文主筆がよく使ったデマゴーグ手法でもあります。

 

 いまからみれば明らかにミスであり、悪という断定が決まっている遠い過去の帝国主義日本の行動を一つ二つだけ取り上げ、現在の政治状況とくらべて、ほんのごく一部でも似ている点があるから現在の状況もその「ミス」や「悪」に等しいと示唆する。ときには露骨に断定する。現代の課題を論じるにはなんの客観的な論拠のない偏向や扇動のアジ演説なのです。

 

 朝日新聞はかつて小純一郎首相の非難に以下のような記述を使っていました。

 

 「ヒトラーは朝食をたくさん食べた。小泉首相も朝食をたくさん食べる。だから小泉はヒトラーに似ている」

 

 こんな悪魔化です。

 

 日本経済新聞の芹川洋一論説委員長の主張も同じです。

 

 いまの日本の政治が昭和6年のそれと共通している。

 昭和6年の日本は危険で邪悪な中国侵略へと乗り出していった。

 いまの安倍政権下の日本も同じような中国への危険な行動をとりそうだ。

 だから安倍政権の動きに反対すべきだ。

 

 簡単にいうと、こういう屁理屈の持っていきかたなのです。

 

 芹川委員長はいまの日中の対立も日本が仕掛けたという見解をとっています。「尖閣諸島の国有化をきっかけに、中国とのあつれき」が起きたというのです。

 

 尖閣をめぐる中国とのあつれきはその2年前、中国の『漁船』が尖閣の日本領海に侵入し、海上保安庁の艦艇に体当たりしてきたことが「きっかけ」です。それ以前にもたびたび「中国人活動家」たちが尖閣に不法上陸を重ねてきたことが「きっかけ」です。日本側は尖閣の現状をなにも変えていないのに、中国当局が「国有化」を理由に中国領内の日本企業などを徹底に略奪し、破壊させたことが「きっかけ」です。

 

 そんな中国の無法な行動に日本が自国防衛の範囲内で正当かつ抑制された対応策をとろうと唱えることが芹沢委員長にとっては「右への地すべり」になるというのです。そんな誤認は誤認する側の視点がよほど偏り、よほど左に傾いている(左というのは現実遊離という意味をこめてです)から起きるのでしょう。

 

 芹川委員長の左傾スタンスは結局は中国の理不尽な主張にもっと耳を傾け、その方向に動くことを示唆しています。日本の国益からしても、いまの日中間の摩擦の因果関係からしても、実に空疎な、虚妄とさえいえる主張です。左傾化というのはそういう意味でもあります。

 

 私は芹川記者を存知あげず、個人的になんの思いもありません。彼の主張として活字になったことを論評するだけです。

 

 最後にこの芹川記者の主張を結果として真正面から否定するようなコメントが同じ本日の日本経済新聞の第一面に掲載されているので、それを紹介しておきましょう。

 

 「2013年展望」というタイトルのインタビュー記事で、語り手はアメリカのMIT教授のリチャード・サミュエルズ氏です。

 

 日経記者の「周辺国には日本の右傾化懸念もあります」という問いに答えての同氏のコメントです。

 

 「保守と右翼は違う。(安倍)首相が保守的な立場を取るなら何の問題もない。保守は日本の防衛力を高め、経済成長を促す。これは日米同盟関係の強化にもつながる。米国にとって保守的な考えは心地よく、首相も保守的であると期待している」

 

 さあ、芹川記者、これでもいまの日本は昭和6年と同じ、危険な「右への地すべり」なんでしょうか。

わが日本は中国との関係をどうすればよいのか。

 

答えはきわめて簡単のようです。

 

アメリカとの同盟のきずなを強くすればよい、という答えがここで提示されています。

 

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【朝刊 国際】


【緯度経度】ワシントン・古森義久 日米同盟強化は日中安定にも有益

 

 日中関係の悪化は米国からみるとどうなのか。日中関係には構造的に阻害要因が存在し、基本的な改善を当面、抑えたままとなる、という悲観的な分析が28日までに米国の国防大学から発表された。だがその最も有効な対策は日米同盟と日本の防衛の強化だという。

 

 沖縄県・尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立は米国でも深刻な懸念を生むようになった。米国にとって日本は当然ながら安全保障条約上の同盟国である。いざ 日本が軍事攻撃を受ければ、米国は同盟パートナーとして支援する責務がある。その日本と中国との間に万が一にも軍事衝突が起きれば、米国はほぼ自動的に中 国との戦いに巻き込まれる。

 

 一方、米国にとって中国は数々の対立要因を抱えながらも、なお安定した関係を保ちたい大国である。その中国が日本と激突する事態はなんとか避けたいということになる。だから米国にとって日中関係の動向は重大な関心事となるわけだ。

 

 こんな認識を前提に米国防大学の「国家戦略研究所(INSS)」がまとめたのが「日中関係2005年から2010年」と題する分析報告である。同研究所 のジェームズ・プリシュタップ上級研究員が中心となって作成した。同研究員は米国歴代政権の国務、国防両省や議会で過去30年以上、日本や東アジアを対象 に政策研究を続けてきたベテラン専門家である。

 

 さて日中関係の現状や展望を分析した同報告はいまから2年前の10年までを総括しているが、その時期の状況は現在に酷似しており、しかも2年前の予測が現状をぴたりと当てている点がおもしろい。

 

 同報告は10年までの5年間の日中関係では経済が両国のきずなを強める一方、一連の「可燃性の高い政治的な課題」が存在してきた、と指摘する。その政治 的な課題とは尖閣諸島の主権をめぐる領有権紛争、中国の軍拡に起因する両国間の安全保障の懸念、歴史問題、政治的価値観の差などだという。そしてこれら要 素について総括する。

 

 「これらは日中関係に固有の爆発性を加味することになり、安定した関係の保持には日ごろからのこれら要素の注意深い管理が欠かせなくなる」

 報告はそうした要素の重要な一端として中国側の反日潮流についても述べる。

 

 「中国のナショナリズムの反日部分は中国指導部にはもろ刃の剣ともなる。反日はまず日本に対しての中国の道義的な優越性や中国共産党の統治の正当性を誇示するために利用される。他方、その広まりは日中の経済関係を傷つけ、共産党の統治自体への非難ともなりかねない」

 

 同報告はそして日中関係の将来を予測した。

 

 「尖閣などの領有権紛争は解決が難しく、日中関係全体を停止させるほどの潜在的な爆発性を有している。経済関係がいくらよくても、政治や安全保障の要因は日中2国間関係の全体を非常に険しくさせうる」

 

 米国や日本がとるべき対策について同報告は次のように述べるのだった。

 

 「北京と東京の関係を安定させるための出発点は日米同盟の強化である。日米同盟こそが過去50年もアジア太平洋だけでなくグローバルな安定を保つ支柱となってきたのだ」

 

 「自国の防衛を強化して安全保障を高めた日本は自信を強め、中国からの日米両国へのより多くの関与をも自信をもって効果的に引き出すことができる」

 

 日本の防衛や安保の強化はまさに安倍新政権の政策目標である。その政策に「右傾化」というレッテルを貼って反対する側は中国と日米両国へのかかわりの深化にも反対するということなのだろうか。

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日本の自国防衛は自国憲法の制約によって、弱くなっています。

 

中国が尖閣奪取のために、その日本の憲法の弱点、つまり穴を攻撃してくる可能性も十分にあります。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

この回でこの報告の終わりです。

 

原文へのリンクは以下です。

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36830

国際激流と日本

なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のか

ようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論

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 イラクに駐屯した自衛隊の平和維持活動でも、他の国の部隊と協力しての戦闘はどんな場合でもできない。自分たちが攻撃を受けても、自動的には反撃 できない。だからわが自衛隊はオランダやオーストラリアの軍隊に守ってもらうというブラックジョークのような現実が起きたのだった。

 

 米国は民主党、共和党の別なく、日本に対し、集団的自衛権行使禁止というタブーを解くことを公然と求めるようになった。集団的自衛権行使禁止は日米同盟の強化への障害になるというのだ。

 

 それはそうだろう。同盟というのは本来、概念的にも、現実的にも、相互の防衛、つまり集団防衛である。しかし日米同盟では、米国が日本を守って も、日本は米国や米軍を守ることはできない。日本自体への攻撃に対する狭義の自衛以外では、日本はたとえ同盟パートナーの米国とでも共同の、つまり集団的 な自衛活動をしてはならないとされているのである。

 

 この点は、憲法の現行解釈を変えさえすれば、修正はできる。だが事の根源はやはり憲法なのである。

憲法の弱みにつけこんでくる中国

 こうした日本の憲法の現況を、いま尖閣諸島に迫る中国からの軍事脅威と併せて考えてみよう。

 

 日本は日米同盟による共同防衛、つまり「日米安保条約の第5条の規定が尖閣諸島にも適用される」という言質を米側から取ることに必死となってきた。だが、もし中国がついに軍事力で尖閣諸島を占拠する構えを明白に見せてきたとき、日本はどうするのだろうか。

 

 日本領海の外での他国の軍事活動は、日本攻撃の狙いが露骨であっても、日本は侵略予防のための軍事行動を取ることができない。そもそも「紛争解決」の手段が戦争であってはならないのである。その制約は、純粋に自衛のための軍事行動にも自縄自縛のカセをかけてしまう。

 

 日本側のこうした制約は中国側に軍事力の行使の効用、あるいは威嚇の効用をますます高めさせることになる。中国とすれば実際に軍事力を使わなくて も、「使うぞ」と脅せば、日本側が憲法の制約を理由に反撃の自粛を早々と言明してしまう見通しが強いことになる。だから、軍事力の行使や威嚇がますます効 果的なオプションとなってしまうだろう。

 

 日米同盟がありながら、日本が憲法のために十分な協力ができないという具体例も多数ある(詳しくは『憲法が日本を亡ぼす』をお読みいただきたい)。憲法問題が新しい年の日本の主要課題になることは確実である。

 

(終わり)

 日本の憲法が日本という主権国家の要件をいかに奪い、安全保障面での自己不信をいかに表示してきたか。

 

 そしてその結果、自分自身の手足や心までを縛りつけることになってきたか。

 

 その報告を続けます。

 

 日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 原文へのリンクは以下です。

 

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36830

国際激流と日本

なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のか

ようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論

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 軍事力は、使わずに保つだけでも効用が大きい。もし特定の利権や領土などを獲得するために日本への侵略や攻撃を考える国があれば、当然、その実行に 踏み切った場合のコストを事前に考える。日本側から反撃を受け、大きな被害を受けることが確実ならば、日本への攻撃を再考するだろう。それが抑止の効用で ある。

 

 一方、日本が日頃から一切の軍事力も持たず、攻撃を受けても反撃はしないことが確実ならば、日本から何かを奪おうとする国は、軍事攻撃の可能性をほのめかして、威圧すれば、目的を達せられるのだ。

 

 軍事衝突を避ける絶対確実な方法は、相手の要求に応じることである。降伏してしまえば、戦争が起きるはずはない。

 

 こうした日本の制約は、世界でも異端の自縄自縛と言えよう。純粋な自衛のためだけといっても、現実の紛争ではその定義は難しい。外国の軍隊が明ら かに日本の尖閣諸島に軍事攻撃をかけてくる準備をしていても、その所在が日本領のちょっとでも外であれば、日本側は普通の自衛のためでも、予防のためで も、軍事行動は取れないのだ。

 

 憲法第9条は、そもそも日本が自国の領土や国民の生命を守る当然の権利を規定していない。自衛の権利さえきちんと認めていない。そのための日本軍 や国軍の存在を認めていないのだ。「外敵から自国を守る」という責務を負わない、あるいはその責務を曖昧にしたままの国家は、国際的な現実からすれば主権 国家の名に値しないだろう。

日米同盟の強化への障害となる「集団的自衛権」行使禁止

 日本憲法のこの特異性は、同盟相手の米国からも公然と指摘されるようになった。具体的には「集団的自衛権の行使禁止」への批判である。

 

 集団的自衛権とは、自国の安全や利害のために他国とともに自衛の軍事行動を取る権利を指す。同盟相手の米国との共同防衛行動、あるいは国連の平和 維持活動での他国の軍隊との共同防衛行動の権利である。国連も憲章でその権利の存在を明確にしている。世界のどの国も固有の権利として保有するし、自由に 行使もできることになっている。

 

 ところがいまの日本は集団的自衛権は「保有はするが、行使はできない」とされている。憲法第9条の規定や精神を考えれば、「行使はできない」というのだ。

 

 その結果、日本の自衛隊は日本領海の1キロ外で日本防衛のために活動する米海軍艦艇が第三国の攻撃を受けても、支援はできない。北朝鮮が実弾ミサ イルを日本の方向に発射しても、その標的が日本だと確定できない限り、ミサイル防衛で撃ち落としてはならない。日本上空をかすめて、明らかに米国領土に飛 んでいくミサイルを阻止してはならないのだ。阻止すれば集団的自衛権の行使になるからだ。

(つづく)

 なぜいま憲法改正論議なのか。

 

 いまの日本の憲法は自国を正常な主権国家とみなしていないからです。

 

 日本は普通の国になり、国軍を持つと、必ず他の諸国を侵略する。

 

 いまの憲法を絶対に変えるなという勢力の主張するのは、そんな虚妄の「理由」 なのです。

 

 自衛隊が海外に出るとまた他国を侵略する。

 防衛庁が防衛省になると、日本は軍国主義になる。

 

 こんなデマを何度,聞かされてきたことでしょう。

 その背後にあるのは、「日本という国や国民は他の諸国の人々と異なり、

自縄自縛にしておかないと、他の国を必ず攻撃する」という日本の悪魔化です。自分の国や国民が悪魔のDNAを持っているというに等しい主張を叫ぶ「護憲派」とは、どういう日本人たちなのでしょうか。

 

 日本憲法をその生い立ちにさかのぼって、なにが欠陥なのかという説明を続けます。

 

 「日本ビジネスプレス」の「国際激流と日本」からです。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36830

国際激流と日本

なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のか

ようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論

 

 

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 憲法第9条の以上の文章を普通に読めば、日本は一切の軍事力を持つことも、使うことも、すべて自らに禁じているように受け取れる。実際の解釈はやや異なるのだが、この読み方も実は正しいと言えるのだ。

日本を永久に非武装のままにしておくことを目論んだGHQ

 周知のように、日本国憲法の草案はすべて日本を占領中の米軍総司令部(GHQ)のスタッフによって書かれた。敗戦からわずか半年後の1946年2 月のことだった。しかも10日間で書かれ、そっくりそのまま日本側に押しつけられた。日本側には拒否や修正の権利は実質上なかった。

 

 私はその憲法作成の実務責任者であるチャールズ・ケーディス氏に長時間インタビューして、当時の実情や占領軍側の考えを詳しく聞いた(『憲法が日 本を亡ぼす』ではその記録を全文収録した)。占領軍がいかに大ざっぱに、一方的に、日本の戦後の憲法を書き上げたかを、ケーディス氏は米国人らしい率直さ で認めるのだった。

 

 同氏の明かした日本憲法の真実を簡単にまとめると、以下のようになる。

 

(1)新憲法は日本を永久に非武装のままにしておくことを最大の目的とした。

 

(2)日本の自国防衛の権利までを否定する方針で、その旨の明記が最初の草案にあったが、ケーディス氏自身の考えでその否定の部分を削除した。

 

(3)「交戦権」という言葉はケーディス氏にも意味不明であり、「国の交戦権を認めない」という部分はもし日本側から要請があれば、すぐに削除した。

 

(4)第9条の発案者が誰だったのかはケーディス氏には分からない。

 

(5)米国側は日本が新憲法を拒むという選択はないと見ていた。

 

 以上が米軍の意図だった。だから第9条の条文を読んで「日本はたとえ自国の防衛のためでも軍事力は使えない」という意味にとっても、おかしくはないのである。

自国の領土や国民の生命を守る権利を規定していない

 周知のように、日本側にとっては第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という注釈の挿入が認められた。前項の目的、つまり「国際紛争を解決」という目的以外の自国の防衛だけには軍事力の行使が認められる、ということになったわけだ。

 

 だが、こんな経緯もしょせん詭弁とか禅問答のように響く。屁理屈と呼んでもよいだろう。その屁理屈的な規定を受け入れてもなお、全世界で日本だけ は自国の領土や領海を越えれば、たとえ自国の防衛のため、自国民の保護のため、あるいは国際平和のためであっても、軍事力は一切、使ってはならないのである。

(つづく)

 

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