2013年01月

このところのアルジェリアでの日本人人質と殺傷の事件の報道について疑問があります。

 

それは日本の大手の新聞やテレビがみなテロリストを「武装勢力」と呼ぶことです。

 

単に武装勢力といえば、普通の国家の正規の軍隊もそれに匹敵します。

わが自衛隊も武装勢力です。

 

アルジェリアでテロ集団が実行したことは罪のない民間の非武装の人間たちを人質にとり、不当な要求をするという、犯罪行為であり、まさにテロ活動でした。しかし日本のメディアはそのテロリスト集団をテロリストとは呼ばず、一般の軍隊や警察とも受け取れる「武装勢力」という表現を使うのです。

 

日本以外の諸国のメディアはみな日本人らを人質に取った側をテロリストと呼んでいます。その活動をテロ活動とも断じています。しかし日本の大手メディアは単に明白な表面だけの現象をみて、テロリストたちを「武装勢力」と、呼びます。その態度にはテロリズム拒否の強い姿勢が感じられません。

 

テロリズムを断固と排除するならば、テロリストをテロリストと呼びましょう。

 

 

相手を「

 いやはや物事は流動的であること、当然とはいえ、実感しました。

 

断定とか思い込みは危険です。

自分の意見をしっかりとして持つことは大切であるけれども、その意見の対象となる事実や現実は変わることもしっかりと認識しておかねばなりません。

 

そんなことを痛感させられた朝でした。(ちょっと過剰な反応かもしれません)

 

朝日新聞が安倍晋三首相の演説を礼賛する記事を載せたのです。

1月24日朝刊の社説面、社説のすぐ下のコラムにびっくり仰天の記事が出たのです。

 

脇阪紀行論説委員が安倍首相でのインドネシアでの演説案の内容をほめちぎったのです。素直な礼賛といえましょう。

 

ただしこの演説は実際には語られませんでした。安倍首相がアルジェリアでのテロ事件への対応でインドネシア滞在の予定を変えたためでした。

だから「幻の安倍演説」となったのです。

 

まあとにかくその脇阪記者のコラムの一部と、安倍演説の全文とを紹介します。

 

ちなみに私の感想は脇阪記者のそれとほぼ同じです。

 

このコラムも私はすばらしい内容だと思いました。

 

演説の全文を首相官邸のサイトで読んで、私もごく素直に感動しました。

 
でも朝日新聞はどうしたのか。
 
安倍氏を政治的に倒すことが「社是」だと、前主筆が豪語していた朝日新聞、こんな安倍礼賛の記事を載せていいのか。それだけ懐が深いということなのか。読み方はいろいろあるでしょう。
 
でも脇阪記者への同じ記者からの尊敬の念は率直に明記しておきたいです。

(社説余滴)「幻の安倍演説」を読む 脇阪紀行

  •  

:国際社説担当・脇阪紀行拡大国際社説担当・脇阪紀行

 

 

首相演説としては異色といえるだろう。安倍首相が、東南アジア歴訪時に予定していた政策演説である。

アルジェリア人質事件への対応で急きょ帰国となり、ジャカルタでの演説が流れてしまった。残念でならない。

首相官邸サイトで「幻の安倍演説」に目を通した。

思わず引き込まれたのは、インドネシアの若者らが作った歌「桜よ」の一節を、首相がインドネシア語で紹介する(はずだった)場面だ。

東日本大震災に見舞われた日本の人々を励まそうと、一昨年5月、日本語を学ぶ現地の学生500人が、この歌を日本語で合唱したのだという。演説の結びは 「テリマカシ(ありがとう)」。日本国民の感謝の気持ちを、肉声で伝えてほしかった。(以上、本日付朝日新聞朝刊記事『社説余滴、 幻の「安倍演説」を読 む』から抜粋)

全文は首相官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/)に掲載されている。1月18日付記者会見をクリックすれば、「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」として掲載されている。

「18日にジャカルタで行う予定であったが、、安倍総理がアルジェリアでの邦人拘束事案について直接指揮をとるため、予定を早めて帰国することになったことより、行われなかったもの」として、幻の安倍演説が掲載されている。(つづく)

 

 

 

平成25年1月18日
開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―

印刷

  •  
  • このページをシェアする

平成25年1月18日
内閣総理大臣 安倍晋三

(注)このスピーチは、18日にジャカルタで行う予定であったが、安倍総理がアルジェリアでの邦人拘束事案について直接指揮をとるため、予定を早めて帰国することとなったことにより、行われなかったもの。

 

I 国益における万古不易

 ご列席のみなさま、とくに、インドネシアを代表するシンクタンク、CSISのみなさま、本日はすばらしい機会をいただき、ありがとうございます。

 本年で、わが国とASEANの関係は、40周年を迎えます。節目に当たり、わたくしは、日本外交の来し方をふりかえるとともに、行く末について、ある決意を述べたいと思ってこの地へまいりました。

 日本の国益とは、万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続けるところにあります。

 わが日本は、まさしくこの目的を達するため、20世紀の後半から今日まで、一貫して2つのことに力をそそいでまいりました。それは、海に囲まれ、 海によって生き、海の安全を自らの安全と考える、日本という国の地理的必然でありました。時代が移ろうとも、変わりようはないのであります。

 2つのうち1つは、米国との同盟です。世界最大の海洋勢力であり、経済大国である米国と、アジア最大の海洋民主主義であって、自由資本主義国として米国に次ぐ経済を擁(よう)する日本とは、パートナーをなすのが理の当然であります。

 いま米国自身が、インド洋から太平洋へかけ2つの海が交わるところ、まさしく、われわれがいま立つこの場所へ重心を移しつつあるとき、日米同盟は、かつてにも増して、重要な意義を帯びてまいります。

 わたくしは、2つの大洋を、おだやかなる結合として、世の人すべてに、幸いをもたらす場と成すために、いまこそ日米同盟にいっそうの力と、役割を与えなくてはならない、そのためわが国として、これまで以上の努力と、新たな工夫、創意をそそがねばならないと考えています。

 これからは日米同盟に、安全と、繁栄をともに担保する、2つの海にまたがるネットワークとしての広がりを与えなくてはなりません。米国がもつ同盟・パートナー諸国と日本との結び合いは、わが国にとって、かつてない大切さを帯びることになります。

 海に安全と繁栄を頼るわが国の外交を貫いたいまひとつのモチーフとは、海洋アジアとのつながりを強くすることでした。

 このためわたくし自身かつて、インドと、あるいは豪州と日本の結びつきを、広く、深いものとするよう努めました。また、発足以来8年を迎える東ア ジアサミット(EAS)が、こころざしを同じくし、利益を共有する諸国の協議体として、2つの大洋をつないで成長しつつあることくらい、わたくしにとって の喜びはありません。

 しかしながらなんといっても、ASEANとの関係こそは、かかる意味合いにおけるわが国外交にとって、最も重要な基軸であったのです。

 そう考えればこそ、政治や通商・投資の関係において、平和の構築から、域内連結性の向上まで、この地域において、わが先人たちは、いちどたりとも努力を惜しみませんでした。

 無数の日本人がそのため働き、資本や、技術、経験が、日本からこの地に向かったのであります。

 わたくしどもが世界に打ち出し、大切に思ってきた「人間の安全保障」という考え方にとって、大事な実践の場となったのもやはりこの地でありました。

 2015年、みなさんがたASEANは、名実とも共同体として、ひとつの脱皮を遂げます。こころからのお祝いを申し上げます。

 インドネシアがその最も顕著な実例でありますが、法の支配と人権を重んじ、民主主義を根づかせる動きは、ASEAN諸国を貫く基調となりました。いまや、ミャンマーも、みなさんを追いかけ始めています。このことを、わたくしは、うれしい驚きをもって眺めてまいりました。

 万人のみるところ、インドネシアにはいま、世界有数の、幅と、奥行きをもった中間層が生まれはじめています。ASEANは、域内の連結を強めながら、互いの開きを埋めるとともに、それぞれの国に、豊かな中産階級を育てていくに違いありません。

 そのとき世界は、ある見事な達成を、すなわち繁栄と、体制の進化をふたつながら成し遂げた、美しい達成を、見ることになります。

 そしてわたくしは、ASEANがかかる意味において人類史の範となることを信じるがゆえに、日本外交の地平をいかに拡大していくか、新しい決意を、この地で述べたいと思いました。

 

II 未来をつくる5原則とは

 それは、次の5つを原則とするものです。

 第一に、2つの海が結び合うこの地において、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、十全に幸(さき)わわねばなりません。

 第二に、わたくしたちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはなりません。

 わたくしは、いま、これらを進めるうえで、アジアと太平洋に重心を移しつつある米国を、大いに歓迎したいと思います。

 第三に、日本外交は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めなければなりません。交易と投資、ひとや、ものの流れにおいて、わたくしたちの経済はよりよくつながり合うことによって、ネットワークの力を獲得していく必要があります。

 メコンにおける南部経済回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています。

 まことに海のアジアとは、古来文物の交わる場所でありました。みなさんがたインドネシアがそのよい例でありますように、宗教や文化のあいだに、対 立ではなく共存をもたらしたのが、海洋アジアの、すずやかにも開かれた性質であります。それは、多くの日本人を魅了しつづけるのです。だからこそわが国に は、例えば人類の至宝、アンコール・ワットの修復に、孜々(しし)としておもむく専門家たちがいるのです。

 それゆえ第四に、わたくしは、日本とみなさんのあいだに、文化のつながりがいっそうの充実をみるよう努めてまいります。

 そして第五が、未来をになう世代の交流を促すことです。これについては、のちほど申し上げます。

 いまから36年前、当時の福田赳夫総理は、ASEANに3つの約束をしました。日本は軍事大国にならない。ASEANと、「心と心の触れ合う」関係をつくる。そして日本とASEANは、対等なパートナーになるという、3つの原則です。

 ご列席のみなさんは、わたくしの国が、この「福田ドクトリン」を忠実に信奉し、今日まできたことを誰よりもよくご存知です。

 いまや、日本とASEANは、文字通り対等なパートナーとして、手を携えあって世界へ向かい、ともに善をなすときに至りました。

 大きな海で世界中とつながる日本とASEANは、わたくしたちの世界が、自由で、オープンで、力でなく、法の統(す)べるところとなるよう、ともに働かなくてはならないと信じます。

 ひととひとが自由に交わりあうことによって、互いを敬う文化が根ざすよう、努めねばならないと信じます。

 

III 日本を強くする

 みなさん日本には、世界に対して引き受けるべき崇高な責任があり、なすべき幾多の課題があります。しかしおのれの経済が弱まるなかでは、どんな意欲も実現させることができません。

 わたくしにとって最も大切な課題とは、日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せることであります。

 伸びゆくASEANと結びつき、海という海に向け、自らをもっと開放することは、日本にとって選択の対象となりません。必要にして、欠かすことのできない事業だからであります。

 日本には、資本があります。技術がありますし、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの、経験も増えてきました。不況が続き、一昨年は、千年に一度の災害に見舞われ、多くの犠牲を生んだにもかかわらず、社会の安定は、まだびくともしていません。

 いままで、育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています。

 いま日本人に必要なものがひとつあるとしたら、それは「自信」です。夏に咲いて、太陽を追いかけるひまわりのような、「向日性」です。かつて日本に、あふれるほどあったものが、いま、欠乏しています。

 だからといって、わたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば、それをなおしてくれる人があり、歌があるからです。ここからわたくしの話は、みなさんへの感謝に焦点を移します。

 

IV インドネシアにTerima kasih

 すでにみなさん、インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と、勇気を与えてくれました。そのおひとりが、この場にいないのはとても残念に思えます。

 インドネシアと日本が結んだEPAは、多くの看護師を日本へ送りました。日本の資格を取ろうとする人も少なくありません。

 それには、難しい試験を突破する必要があります。

 2011年の資格試験は、地震が起きた直後に、結果発表の日を迎えました。難関を突破したおひとりが、兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性、スワルティさんでした。

 合格発表を受け、病院でスワルティさんが記者会見をしていたときです。喜びの顔が突然くもり、彼女はこう言い始めました。

 「福島県で、宮城県でも、津波がきました」

 声を詰まらせたスワルティさんは、病院の医師に向き直り、涙で声を震わせながら言ったのです。

 「私もできれば行かせてください、先生。みなを手伝いたい。お願いします」。

 スワルティさんは、被災地の、避難所へ入りました。家屋の半分が流され、500人以上の人が命を落とした町の避難所です。そこで、彼女は不思議な能力を発揮します。

 ショックのせいで泣いてばかりの少女が、スワルティさんと話し始めると笑顔になりました。年老いた女性が、まるで孫に接するように、彼女にほほえみをみせました。不自由な避難所で、そんな光景が生まれました。

 「大丈夫です。これからみなさん、ピカピカの未来がくるので、一緒にがんばりましょう」

 避難所を去るときの、それが、スワルティさんのあいさつでした。

Wahai sakura,(ワハイ、サクラ)
mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,
(メカルラー、ドゥンガン、プヌー、バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.
(ディ、スルルー、プロソック、ジパン)

Mari Jepang,(マリ、ジパン)
bangkitlah.(バンキットラー)
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラー、ドゥンガン、ペルチャヤ、ディリ)
di dunia ini.(ディ、ドゥニア、イニ)

 わたしの下手なインドネシア語は、大目に見てください。この歌は、歌詞がもともと日本語なのです。

 「桜よ」という、歌の一節です。「桜よ、咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ、咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ」と、歌ってくれています。

 ジャカルタに、大学生たちによる、日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があります。

 2011年3月11日の悲劇を知り、心をいためたエン塾の学生たちは、日本よがんばれ、桜のように、世界で咲き誇れという歌を、美しい曲に乗せてくれました。

 そして5月1日、30を超す大学から500人の学生がつどい、すばらしい合唱をしてくれたのです。

 わたくしは彼らの合唱を見、声を聞きました。そして、深く、感動しました。いまから1分20秒だけお見せします。どうかご一緒にご覧ください。

 ご列席のみなさま、この歌を作曲した青年がいます。JCC、ジャカルタ・コミュニケーション・クラブで、広報を担当している、ファドリ君です。

 そして、JCCを創立し、エン塾の指導に努めてこられた先生、かいきり・すがこ(甲斐切清子)さんです。

 ファドリ君、ありがとう。やさしいインドネシアのみなさん。みなさんと日本人は、みなさんが好きだという日本の歌、五輪真弓の歌がいう、「心の友」です。

 そのことをスワルティさんや、ファドリ君たちが改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ)。

 

V JENESYS 2.0を始める

 わたくしは、ファドリ君たち、20年、30年先のインドネシアを担う世代の人々、ASEANの将来を引っ張る若者たちに、日本を訪れてほしいと思います。

 エン塾のすばらしい学生たちにも、日本のいろいろなところへ見に来てもらいたい。そう思って、このたび、ASEANや、アジアの若者をお招きするプログラムを拡充し、強化することにしました。

 ちょうど、6年前のことになります。わたくしは、日本の総理として、EAS参加国を中心に、ひろくアジア・太平洋各国から高校生や大学生、若者を日本へ呼ぶ事業を始めました。

 ジェネシスという名のもと、当時のレートで約3億ドルの予算を当て始まったプログラムは、いままでに、ASEAN各国から1万4000人を超す若者を日本へ受け入れてきました。

 これをもう一度、「ジェネシス2.0」と名づけ、熱意と感謝の気持ちを込めて、始めることにいたしました。

 ジェネシス2.0は、3万人の若者を、ASEANを含むアジア諸国から日本に招待します。どうです、ファドリ君、それから、かいきり先生、どしどし宣伝してくださいませんでしょうか。

 

VI アジアの海よ平安なれ

 40年前、日本がASEANとパートナーになったころ、インドネシアの経済がこれほど伸びると想像した人が果たしていたでしょうか。

 名目GDPの変化を比べてみますと、この40年の間に、インドネシア経済は、10階建くらいの、どこにでもあるビル程度の高さだったものが、スメル山の高さにまで伸びたことがわかります。

 古来、インドで生まれた仏教を大切にしてきた日本人にとって、スメル山とは、須弥山(しゅみせん)と称し、世界の中心にそびえる山を意味しました。

 インドネシア40年の達成を、このようにたとえてみることは、したがいまして、われわれに二重の意味で、深い感慨を催さずにいないのであります。

 わたくしはまた、アチェに津波が襲って以来の、みなさまの達成を、人類史が特筆すべきチャプターだと考えます。それは、復興と、和解、ひいては国全体の穏やかな民主化を、ともに達成した偉大な足跡でした。

 わたくしは、そんなみなさまインドネシアの隣人であることを、誇りに思います。

 初めにわたくしは、海に囲まれ、海に生き、海の安全を、おのれの安全とする国が日本であり、インドネシアであって、ASEANの、多くの国々であると申し上げました。

 それはまた、アジア・太平洋からインド洋に広がる一帯に住まう、われわれすべてにとって共通の条件であります。

 そんなわたくしたちが一層の安寧(あんねい)と、繁栄を謳歌できるよう、わたくしはきょう、日本外交がよって立つべき5つの原則を申し上げました。

 わたくしたちにとって大切な、価値の信奉。コモンズ、なかんずく海を、力の支配する場としないこと。経済におけるネットワークの追求。そして文化の交わりと、未来世代の育成、交流を追い求めることです。

 アジアの海よ、平安なれと祈ります。そのため、経済において強く、意思において強固で、国柄においてどこまでも開かれた日本をつくるべく、わたくしは身命を賭したいと思っています。

 インドネシアの人々に、わたくしは、自分の決意を語ることができ、ほんとうによかったと思います。ご清聴くださり、ありがとうございました。

 

 

 

 以下のようなレポートを書きました。

 

 日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

  原文へのリンクは以下です。

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36991

国際激流と日本

北朝鮮奪取を目論む中国の野望

軍事介入で朝鮮半島の統一を阻止?

                                                             =========

  もし北朝鮮が崩壊したらどうなるか。同じ朝鮮民族の政権である韓国が最も正当性のある存在としてその領土を継承し、朝鮮半島の統一を図るだろうという見解が、米国の外交政策筋の間ではこれまで有力だった。

 

 しかし、現実には中国が韓国主導の統一を許さず全面的に介入する、という見通しが新たに打ち出され、ワシントンの政府や議会に波紋を広げ始めた。

 

 中国は朝鮮半島の北部を歴史的に中国の支配圏に帰属すると見なしており、その領土拡張の野心的姿勢は、日本の尖閣諸島を奪取しようとする試みにも共通しているという。

北朝鮮崩壊への対応は米国歴代政権の政策課題

 「中国が朝鮮半島統一を阻むだろう」――こんな見出しの記事がワシントン・ポスト(1月18日付)に掲載された。

 

 この記事は、米国上院外交委員会が2012年12月末にまとめた報告の内容を伝えるものだった。同報告は「朝鮮半島の統一への中国の影響と米国上 院にとっての諸問題」と題され、北朝鮮が単に政権だけでなく国家自体が崩壊するというシナリオを仮定し、その場合の関連諸国、特に中国の対応を研究してい た。

 

  同報告の主要な作成者は上院外交委員会の共和党側スタッフだが、報告自体は同委員会の公式リポートとして公表された。

 

 米国の歴代政権が北朝鮮に対し、特に北側の核兵器開発を阻止することを最大目的として多角的な努力を続けてきたことは広く知られている。米側ではそのために官民の両方で北朝鮮の政権や政治、経済の状況を調査し、分析を続けてきた。

 

 その多方面からの分析の中には、1つの可能性として「金政権の崩壊」あるいは「北朝鮮の国家の崩壊」が含まれてきた。

 

 北朝鮮はカルト的な絶対支配者が独裁を振るう異様な国家である。国民は圧政に苦しめられ、人権の抑圧は非道を極める。国民の不満が爆発しても不思 議はない。そのうえに政府の経済政策が頻繁に破綻する。洪水やかんばつなどの天災で飢餓が襲う。だから米国側でも「北朝鮮はやがて必ず崩壊する」という予 測が繰り返し発せられてきた。

  (つづく)

 

日本の固有の領土の尖閣諸島を奪取しようとする中国が領土拡張の野心をどう実行していくのか。

 

日本にとって、きわめて有益な一文だと思います。

 

【正論】防衛大学校教授・村井友秀 中国の「非合理的行動」に備えよ


 

 

 

 「2013年、海洋強国に向け断固、歩み出す」(中国共産党機関紙、人民日報)。中国は、東シナ海や南シナ海で海洋監視船、漁業監視船や海軍艦艇の活動を強化して、「多彩なパンチを繰り出している」(同国国家海洋局)。

 

 ≪尖閣棚上げ論は過去の遺物≫

 

 その国家海洋局の航空機が12年末には、尖閣諸島の日本領空を侵犯した。沿岸国の利益を侵害しない限り「無害通航権」が認められている領海とは異なり、 政府機関の航空機が許可なく領空に侵入すれば重大な主権侵害である。棚上げ論など一顧だにせず、日本との対決をエスカレートさせている中国は、日本との軍 事衝突をどのように考えているのであろうか。

 

 中国共産党は中国本土を制圧すると同時に朝鮮戦争に介入し、台湾の島を攻撃し、チベットを占領した。1960年代になると国境をめぐりインドやロシアと 軍事衝突し、70年代に入るとベトナムからパラセル(西沙)諸島を奪い、さらにはベトナム国内に侵攻し、「懲罰」作戦を行った。80年代には南シナ海でベ トナム海軍の輸送艦を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた島を奪った。

 

 中国共産党は戦争を躊躇(ちゅうちょ)する政権ではない。彼らにとり、国境紛争のような小さな戦争は平和時の外交カードの一つに過ぎない。

 

 中共は、核心的利益である「固有の領土」を守るためには戦争も辞さないと主張している。それでは、中国の固有の領土とは何であろうか。中国の領土について次のように説明されることがある。

 

 「一度、中華文明の名の下に獲得した領土は、永久に中国のものでなければならず、失われた場合には機会を見つけて必ず回復しなければならない。中国の領 土が合法的に割譲されたとしても、それは中国の一時的弱さを認めただけである」(Francis Watson、1966)。中国の教科書では、領土が歴 史的に最大であった19世紀中葉の中国が本来の中国として描かれ、「日本は中国を侵略し、琉球を奪った」(『世界知識』2005年)との主張が今でも雑誌 に掲載されている。

 

 ≪ミスチーフ礁を奪った手口≫

 

 フィリピンが支配していたミスチーフ礁を中国が占拠した経過を見れば、中国の戦略が分かる。

 

 中国がミスチーフに対し軍事行動を取れば、米比相互防衛条約に基づき米軍が介入する可能性は高かった。そうなれば、中国はフィリピンを屈服させることは できない。時のベーカー米国務長官は、「米国はフィリピンとの防衛条約を忠実に履行し、フィリピンが外国軍隊の攻撃を受けた場合には米国は黙認しない」と 述べていた。

 

 したがって、1974年のトウ小平・マルコス会談、88年のトウ・アキノ会談で、トウは問題の棚上げを主張したのである。軍事バランスが中国に不利であ る場合、中国は双方が手を出さないように主張する。将来、ミスチーフ礁を獲得するために当面は問題を棚上げし、相手の行動を封じたのである。

 

 91年9月、フィリピン上院が米比基地協定の批准を拒否し、92年11月に米軍がフィリピンから撤退した。第二次大戦中に建造された旧式駆逐艦1隻を有 するフィリピン海軍は中国海軍の敵ではない。フィリピンのマゼタ国防委員長は「フィリピン海軍としては軍事力による防衛は不可能で、戦わずに撤退せざるを 得ない」と発言している。中国はミスチーフ礁問題に米軍が介入する可能性が低いと判断し、問題の棚上げを放棄して95年にミスチーフ礁を占領した。

 

 ≪軍事バランス維持し抑止を≫

 

 トウは尖閣についても、日中軍事バランスが中国に不利であった78年に棚上げを唱えている。「棚上げ」は時間を稼ぎ、不利を有利に変える中国の戦略である。中国の危険な行動を抑止するには、軍事バランスが日本に不利にならないようにすることが肝要である。

 

 ただし、軍事バランスは相手の合理的な判断に影響を与えるが、相手は常に合理的に行動するとは限らない。人間は感情に動かされる動物である。人間は何か を得ようとして失敗するときより、持っているものを失うときにより大きな痛みを感じ、失うまいとして、得ようとするときより大きなコストに耐え、あえてリ スクを取る傾向がある(プロスペクト理論)。

 

 尖閣に関して中国が本来自分の領土ではない島を日本から奪うと認識していれば、あえて軍事行動といった大きなリスクを取ることはないであろう。しかし、 失った「固有の領土」を取り戻すと中国が本気で認識していれば、大きなコストに耐え、軍事行動という危険を冒す可能性が高くなる。

 

 「国家には我慢のできないことがある。国家の名誉、統合性、領土などに対する攻撃は我慢の出来ないことであり、こうしたことに対してはあえて危険を冒すものである」(ネルー・インド首相)

 

 とすれば、中国が日本から見て合理的な判断を常に下すとは限らない。軍事バランスを維持し「合理的な中国」に対する抑止力を高めると同時に、想定外の事態を想定して、「非合理的な中国」に備えることが防衛の基本である。(むらい ともひで)

1月20日の産経新聞読書欄に以下のような書評記事が出ました。

 

 

 

【朝刊 読書】


【書評】『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著


 

クリックすると新しいウィンドウで開きます
 

 

 ■色褪せていく反対論を証明

 

 一昨年夏にワシントンで開かれた日本国憲法に関する討論会の場で日本外交の一研究者から「日本は国際社会のモンスターだというわけですか。危険なイヌは いつでも鎖につないでおけ、というのに等しいですね」との質問が出たことを著者は冒頭に紹介している。

 

 壇上のパネリストの中で日本に関する無知、あるいは ためにする悪意から、改憲論イコール軍国主義志向だなどと口走る人物が米国にいまだに存在することへの苛立(いらだ)ちであろう。

 

 勝者は敗者に対して国体の変更を要求する。強制ではないかのような巧妙な仕掛けをしてみても、歴史は「押し付け憲法」であることを明白に証明してしまっ た。

 

 にもかかわらず、この憲法を少しでも正そうとする向きに、「右傾」とか「修正主義」といった罵声が浴びせられる。

 

 安倍晋三首相の頭に「右翼の」 (right-wing)との形容詞をつける論評はいまでも米紙誌に登場するではないか。米占領軍が敗者の日本に与えた日本国憲法という鋳型をいまだに信 奉する日米両国のリベラル派がいる。

 

 米国に存在する憲法改正の賛否両論のうち、反対論が次第に色褪(いろあ)せていく様子を著者は新聞記者の目で丁寧に証明してみせてくれる。  

 

 背景には国際 政治における力の関係の変化がある。

 

 「平和的台頭」を自称した中国は「危険な台頭」で国際社会の嫌われ者になりつつあり、米国は財政難のしわ寄せがもろに 軍事費にまで押し寄せている。頼りとする日本は民主党政権下で歩調がすっかり狂ってしまった。

 

 米国の一部には首相の靖国神社参拝奨励の声も上がり、核武装 すら認めようというのに…。日本よ、しっかりせよとの著者の気持ちが伝わってくる。

 

 巻末に70ページにわたり、GHQ(連合国軍総司令部)次長だったチャールズ・L・ケーディス大佐との81年におけるインタビューが一つの章として加え られている。

 

 草案執筆にあたった人々の発言、報道や解説にあたる者の誤解とケーディス発言との食い違いを点検するうえで、資料としての貴重性は失われてい ない。(海竜社・1680円)

 

 評・田久保忠衛(杏林大学名誉教授)

↑このページのトップヘ