2013年08月

こんな記事を書きました。

 

【朝刊 国際】


【緯度経度】ワシントン・古森義久 在米反日組織の実態


 

 米国カリフォルニア州南部のグレンデール市に慰安婦像が設置されて1カ月が過ぎた。すぐ近くのブエナパーク市での同様の動きは地元在住の日本人たちの明確な反対もあって阻止されたようだ。だがこんどは同州北部のミルピタス市で似た動きがあるという。

 

 日本非難を露骨にしたこんな活動を米国内で一貫して進めるのは一体、だれなのか。日本側では単に「韓国ロビー」というだけで、その実態は伝えられない。

 

 すでに慰安婦碑を建てた東部のニュージャージー州などでの動きを含めて表面に出るのは、ごく少数の韓国系米国人の名と特定地域で旗揚げした「カリフォル ニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」というような新参の小さな団体名だけなのだ。全米規模で機能する韓国系組織の存在は感じられない。

 

 そんなことをいぶかっていたら真の主役がやはり顔を出してきた。中国系在米反日組織の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)である。

 

 抗日連合会はカリフォルニアやニュージャージーでの慰安婦像などの設置を自己の活動の「最新の前進」として自サイトで公式に発表したのだ。米国各地での 慰安婦像の設置を今後も推進すると宣言していた。

 

 しかも抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏は、グレンデールの慰安婦像に関する中国共 産党直轄の英字紙「チャイナ・デーリー」の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた。

 

 この記事は抗日連合会の元会長、アイビー・リー氏の「慰安婦問題では中国も犠牲者なのだ」という言葉をも強調していた。だからグレンデールでもこの中国系組織が韓国系を背後から全面支援していたというのである。

 

 米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった。同連合会は1990年代からカリフォルニア州会議員だったマイク・ホンダ氏に慰安婦をはじめとする日本の「戦争での罪悪」を教示し、州議会で日本糾弾の決議を採択させた。

 

 ホンダ氏が2000年に連邦議会の下院選に立った時はディン氏、リー氏ら抗日連合会の幹部たちは選挙資金を集中的に寄付した。その後、ホンダ氏は下院に慰安婦決議案を4回も出したが、その内容は同連合会との完全な合作だった。

 

 抗日連合会は1994年に、中国政府と連携した中国系米人たちによりカリフォルニアを本部に設立された。「日本に戦争での残虐行為を謝罪させ、賠償させ る」ことを主目的とし、南京、捕虜虐待、731部隊、慰安婦を挙げてきた。戦犯裁判や対日講和条約での日本の責任受け入れを一切、認めない点で明白な反日 組織である。

 

 だから抗日連合会は米国での慰安婦問題での日本たたきはもう20年近くの超ベテランなのだ。ちなみにその活動の頂点に立つディン氏は今年6月、橋下徹大阪市長の慰安婦発言を非難するサンフランシスコ市議会の決議案も自分が起草したと述べている。

 

 グレンデールの実情に詳しい在米26年のビジネスマン、今森貞夫氏も「地元では、韓国系だけでは組織も活動も希薄で、抗日連合会に扇動され、指導された構図が明白だった」と語る。

 

 米国を利用してのこの慰安婦問題は日本への汚辱を世界に、そして日本の後世に、残そうとする意図が露骨である。そんな対日攻撃への備えでは主敵がだれなのかの認定がまず重要だろう。(ワシントン駐在客員特派員)

日本国の公営放送NHKが果たさない公的責務の欠落を埋めるための、ささやかな報道です。

 

日本国の首相の動向です。

 

 

……秘書です。
外遊明けの安倍総理、今日は就任
後初めて「首相公邸」に宿泊です(秘書は帰ります)。

接近中の台風も気になりますが、8月も明日で最後、皆様熱中症や体調管理に気をつけて良い週末をお過ごし下さい。

秘書アップ
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 日本のナショナリズムについての私の意見発表です。

 

 第二回目です。

 

 アメリカの日本研究学者たちを前にしての英語でのスピーチでした。

 

 

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全体としてみると、この愛国心もナショナリズムも、きちんと定義づけられた言葉の構成要因はみな文句なしにポジティブ、つまり前向きで あるのに、日本に対してナショナリズムという用語が使われたときは、ネガティブ、つまり後ろ向きで、負のニュアンスをにじませるような意図が感じられま す。これは奇妙なことです。

 

ナショナリズムという言葉がなぜ日本に対して使われるときには、ネガティブになるのか。

 

それは日本への適用の場合、よく『民族的ナショナリズム』と称される排他的意識や優越感という現象がことさら指摘されるからなのかもしれません。

 

そしてまたナショナリズムの概念はその国のパワーを対外的に投射するためや、影響力を拡大するための戦略の目的として国民の感情を煽り立てる際に、政治的に利用されることも、ときどきあります。国内のトラブルから国民一般の目をそらすためにも利用されることがあります。

 

ナショナリズムはまた国内の団結を強めたり、特定の政権への忠誠を強めたりするためにも、人工的に創り出されることもあります。この種の目的に使われるナショナリズムは『政治的ナショナリズム』とか『政治的に濃縮されたナショナリズム』と呼ぶこともできるでしょう。

 

しかし全体としては、現代のナショナリズムを構成する要因のほとんどは、全世界では一般的に受容され、しかも肯定されているといえます。たとえば自分の国への愛や、その国の国民であることへの誇りの表現をみてみましょう。

 

世界の圧倒的多数の諸国では、自国への愛情の表現は受け容れられ、むしろ奨励されているといえます。しかし日本ではそうではないのです。

 

戦後の日本のもっとも顕著な特徴の一つは、ナショナリズムの拒否であり、国家意識の希薄化です。この傾向を『日本の反ナショナリズム』と呼ぶこともできましょう。その傾向に関して、まず具体的にみえる部分から眺めてみましょう。

 

日本は自国の国旗が公共の場に掲げられている数では、国民一人あたりの国旗数で測れば、おそらく全世界で最少でしょう。現代の日本国民 の大多数は祝賀の機会でもなお自宅に国旗を掲げることを避けるといえます。特定の公立学校教員組合のメンバーが多い学校の教師たちも、卒業式や入学式での 国旗の掲揚になお抵抗をみせます。それどころか教師たちの多くは生徒たちに国旗への敬意を表さないことを積極的に教えてきたのです。

 

日本国民の多くが国歌に対して同じような態度をみせます。戦後の公立学校の教員たちは国歌斉唱を伝統的に拒み、自分たちの生徒にも歌わ ないよう奨励してきました。戦後教育を受けた最初の世代に近い私自身も小学校では国旗や国歌に尊敬の意を表明しないことを教わった記憶があります。

 

戦後の早い時期にはアメリカのように自国の旗に忠誠を誓うことなど、まったく考えられませんでした。現在でもなおそれは変わっていませ ん。私自身の個人的体験を再び語るならば、アメリカにきてアメリカの学校の生徒たちが星条旗に忠誠を誓っている光景を初めてみたとき、衝撃を受けたもので した。

 

私は当時、二十二歳、まったく初めてのアメリカ訪問で、西海岸のシアトルのワシントン大学に留学した際でした。

 

私の日米両国間のギャップに派生する同様の衝撃は、何十年ものつい最近、十九歳の日系アメリカ人少女の物語によって再現されました。実 際にはこの少女は『I am 日本人』という二〇〇六年に封切りされた日本映画に登場する人物なのです。この映画はフィクションとはいえ、実際の人間たち の体験をモザイクのように組み合わせた内容なので、興味深かったのです。

 

この映画は衆議院議員に当選し、文部次官に任命されたこともある人気の高い映画スターの森田健作氏によって制作されました。私はたままた最近、成田からワシントンへと飛ぶ飛行機内でこの映画をみて、意外なほど明快で新鮮な内容に驚かされました。

 

まったくの偶然ではありますが、この映画の主人公の若い女性も前述の私の留学先シアトルで生まれ、育ったという設定でした。この女性は 日本の大学に留学するのですが、周囲の日本人の級友たちは日本の国旗にも、国歌にも、まったく敬意を表さないのです。彼女は仰天し、ショックを受け、当惑 し、怒り、そして級友たちに向かって、「一体なぜ、なぜ、なぜ、なのよ」と叫ぶのです。

 

映画のメッセージは、アメリカ人からみての日本の若者たちの『国家 意識』の顕著な欠如を示すことにあるようです。

 

もちろん一国のナショナリズムの広がりの度合いを、単にその国の国民たちが国旗や国歌にどのように面するかだけをみて判断することはで きません。

 

しかしそれはみることは一般的傾向を測る指針にはなるでしょう。この点について、いまの日本では『国家意識』や『民族アイデンティティー』の広 範な不在を示す世論調査や学術研究など証拠類は豊富に存在します。

(つづく)

 

 安倍晋三首相の中東のカタール訪問についてです。

 

 ご本人からの発信です。

 

 NHKはまた知らん振りかな。

 

 
  以前訪日した際のディズニーランドで、一時間以上整然と並んで待つ日本人のマナーと秩序に感動した。これが、最後の訪問国、カタールのタミール首長が、日本式の教育に強い関心を持った背景だそうです。
  一人当たりGDPが日本の倍。日本にとって死活的に重要な、原油やガスの主要な供給国です。東日本大震災の際には、カタールガスの社長さんが、はるばる日本に来て、「ガスの追加供給には何の心配もいらない。日本はカタールの礎を築いてくれた。今度は我々の番だ。」と言ってくれました。
  エネルギーだけの関係に留まることなく、教育、医療、農業、インフラなど、中東の国々が発展していくために、幅広い分野で貢献していかなければなりません。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=400373353419447&set=a.132334373556681.21871.100003403570846&type=1&relevant_count=1

 

 アメリカが薄煕來事件をどう読むのか。

中国共産党の首脳は自分たちを法律の適用の上にいるとみなしている。

こんなところがアメリカ側の結論のようです。

 

  この項はこのエントリーで完結です。

 

 日本ビジネスプレスからです。

 

 原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38558

  

国際激流と日本

米国はどう見る? 薄熙来の失墜

裁判で共産党「神話」の虚構が明らかに

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  中国共産党はまだまだ閉ざされた権力独占集団であり、そのトップの座をめぐる権力闘争には規則も制度もないのだ、という認識だろう。いま進行中の薄熙来裁判はその実態をいやというほどさらけ出した。こんな見解の社説だと言える。

「法の統治」より上に立つ共産党の最高指導者たち

 米国のもう1つの大手紙「ワシントン・ポスト」の社説も同様だった。8月23日付の「中国の中途半端な措置」と題する社説である。副見出しには「薄熙来の見せかけ裁判は中国指導者の多くが法律の雲の上にいることを示した」とあった。つまり中国共産党指導者たちには「法の統治」は及ばないというのだ。

 

 同社説はまず以下の点を強調していた。

 

 「薄熙来裁判は中国共産党の最高幹部たちがその1人に懲罰を加えるために開いたショーにすぎない。中国は『法の統治』の国家ではなく、むしろ『法の統治』を欲する側と戦う国家なのだ」

 

 「法の統治を真に尊重する国家では、国の最高指導者たちも法の統治という雲の上には立っていない。しかし中国では共産党は法の上に立っている。共産党が判事、検事、警察に命令をしているのだ」

 

 「今回の『裁判』では薄被告は汚職の容疑に対し反論しているが、その法廷での展開がどうなるにせよ、判決は秘密裏に共産党の首脳によって決められる」

 

 「中国はこれまでに『法の統治』を広めるような措置をいろいろ取ってきてはいる。だが共産党の正当性に挑戦する法の執行は決して許されなかった」

 

 「共産党首脳は、法律に拠って立つ国家は健全であり、国民の間の紛争や緊張を解決すると述べる。だがその法律は共産党の最高部までには適用されていない。この中途半端な『法の統治』では決して国民の信頼が得られず、制度の継続性をも失うことになる」

 

 要するに中国の「法の統治」は共産党首脳には適用されず、中途半端に終わっているというわけだ。そしてその実態がこんどの薄熙来裁判で改めてさらけ出された、というのである。このあたりがアメリカ側の普通の見方と言えるだろう。

 

(終わり)

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