2013年08月

 アメリカが薄煕來事件をどう読むのか。

 

 その報告の続きです。

 

 日本ビジネスプレスからです。

 

 原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38558

  

国際激流と日本

米国はどう見る? 薄熙来の失墜

裁判で共産党「神話」の虚構が明らかに

 

                                   ========

  3つの主張とは以下のようなものである。

 

 第1は、共産党の全国最高の指導部が団結している、という主張である。

 

 第2は、共産党の次世代の指導者の選出プロセスがすでに制度化された、という主張である。

 

 第3は、1967年から77年にかけての文化大革命中に見られたような公然たる権力闘争はもう決して起きない、という主張である」

 

 この社説は、これらの主張がいずれも虚構の「神話」であることが、薄事件とその裁判によって立証されたという。

 

 その理由の要旨を次のように記している。

 

 「2012年11月に共産党政治局常務委員会の7人のメンバーが新たに選ばれると、それに入っていなかった薄氏はその一員になるために大衆迎合的 なキャンペーンを始めた。その方法は胡錦濤氏の主張の中の最も左翼的な部分を取り上げ、毛沢東思想に結びつけ、大衆を煽るという形だった。だが、薄氏自身 は資本主義を非難しながらも、資本主義的な利益を違法に受けて、私腹を肥やした。その間、共産党のトップたちの間では薄氏への態度が決まらず、重慶での薄 氏の『改革』を支持する人たちもいた。しかも特に危険だったのは薄氏が暴力や武力を利用する傾向があったことだ。重慶での『マフィア狩り』での実力行使や 雲南省駐留の人民解放軍第14軍団への接近などは、その傾向を明示していた」

 

 以上のような薄熙来被告の動きは、共産党最高部の団結、次期指導者選出の制度化、権力闘争の終結などがいずれも「神話」にすぎないことを証明して しまった、というのだった。確かに裁判での薄被告の供述やその他の証人の発言も、みなその「神話」が虚構であることを裏づけていた。

 

 同社説は、今回の裁判ではすでに基本的なシナリオは書かれており、薄被告には、汚職の罪としてはあまり厳しくない判決が下されることが決まっていると指摘する。その結果、中国の一般国民の権力に対するシニシズム(冷笑)や怒りがまた増すだろうとも予測する。

 

 そして同社説は次のように総括していた。

 

 「共産党は、薄熙来被告の失脚は中国の『法の統治』への前進の表れだと主張した。だがこの裁判は逆に、中国の安定は実に壊れやすく、この裁判も全 体主義の見せかけであることを明白にした。薄熙来事件は私たちアメリカ側に、中国の王座をめぐる、ゲームのカーテンで隠された内側をちらりと見せつけるこ ととなったのだ」

(つづく)

安倍首相はなお中東訪問中で、アフリカのジブチに出かけ、日本の自衛官や海上保安官を激励しました。

 

NHKの昼のニュースは報道なしですね。

 

消費増税の有識者会議のメンバーに延々と一人ずつ意見を述べさせています。

 

日本国の総理大臣の重要な外交活動はまた無視でした。

 

その分、一人でも多くの日本国民に知ってほしいニュースとして以下を伝えます。

 

 

 

安倍晋三

日本から1万2千キロ。遠く離れた灼熱のアフリカ ジブチで、海賊対処の任務に当たっている自衛官、海上保安官の激励をしました。
我が国の生命線である、海上輸送ルートを守っているのは彼らです。世界から頼りにされています。
おかげで、海賊事件は着実に減少しています。彼らの護衛のもとでは、1隻たりとも海賊による襲撃は発生しておりません。

過酷な環境のもとで、困難な任務を士気高く、整斉と遂行する彼らの姿、プロフェッショナリズムに改めて感銘を受けました。私は、彼らを誇りに思います。

 中国でいま進行中の薄煕來裁判の意味とはなんなのか。

 

 アメリカはどうみるのか。

 

 レポートを書きました。

 

 日本ビジネスプレスです。

 

 原文へのリンクは以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38558

  

国際激流と日本

米国はどう見る? 薄熙来の失墜

裁判で共産党「神話」の虚構が明らかに

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  中国重慶市共産党委員会の薄熙来元書記の裁判は、中国を揺るがすだけでなく、米国でも大々的に報道されるようになった。

 

 中国の政治の頂点を極めるかのように光り輝いた薄元書記は、いまや捕われの身の犯罪被告人へと転落した。米国はこの裁判をどう見るのか。米国の今後の対中政策の行方を占ううえでも、薄熙来事件への米側の認識を知ることは意味があるだろう。

安っぽいドラマのような裁判の展開

 薄熙来と言えば、まさに白馬にまたがったプリンスだった。華やかな政治リーダーの少ない共産党体制の下でも、薄被告は例外だった。とにかく格好いいヒーローだったのだ。

 

 彼が大連市長だった2000年、私も目前に見て、そのバイタリティーと大衆を引きつける魅力にびっくりした経験がある。大連での大きな記念式典に 出席した薄被告はさっそうとしていて、独特のオーラを放っていた。ちょうどその式典に加わった村山富市元首相とのコントラストが鮮烈だった。なにしろこの 頃の村山氏の中国訪問と言えば、ひたすら日本の「過去の罪」を謝るばかりだったからだ。

 

 だが、そのオーラを発散していた同じ人物がいまや収賄や横領、職権乱用の罪で起訴され、被告となっている。山東省済南市の裁判所で自らの無実を必死で主張する身となってしまったのだ。

 

 裁判の展開は殺人あり、不倫あり、汚職あり、裏切りありと、まさにドラマである。安っぽい、どろどろのドラマと呼んだ方が正確か。中華人民共和国 の独裁政権の中枢にいた人間がこんなにも俗塵にまみれた真実の顔を明かすというのも面白い。おまけに彼は凶悪で危険な部分も多々あるようなのだ。

 

 アメリカでの薄熙来裁判報道も、スキャンダルのディテールを興味本位で伝えてはいる。だがこの全体の政治展開の意味について、一歩離れ、数歩高い立場から論じている評論もある。薄熙来事件の政治的な意味づけである。

共産党の「神話」を突き崩した薄熙来の動き

 米国大手紙の「ウォールストリート・ジャーナル」は8月22日付の社説でこの事件の意味をそんな視点から論じていた。「中国の王座ゲーム」と題する社説である。

 

 その要点は以下のようだった。

 

 「薄氏が、妻によるイギリス人実業家ニール・ヘイウッド氏の殺害発覚の後に失脚したという事実と、それに続く裁判は、少なくとも中国共産党のこれ までの3つの主張を崩すこととなるだろう。たとえ薄氏を裁く裁判のシナリオがすでに書かれており、そのシナリオから逸脱することはあまりないとしてもだ。

(つづく)

 

 安倍首相のいまの中東訪問はいろいろな意味で重要です。

 

しかしワシントンで見るNHKのニュースではこの大きな出来事がほとんど報じられません。大々的に報道されるのは島根県の豪雨というような気象や天候のニュースです。

 

もちろん島根県の豪雨も重要な出来事でしょう。

 

でも日本の総理大臣がいま世界の注視をあびる中東の諸国を歴訪することをほとんど無視とは、どういうニュース判断なのか。

 

まさかNHKの従来の安倍嫌い、安倍叩きでなければ、いいのですが。

 

ここで安倍首相自身からの発信をコピーしておきます。

 

「湾岸戦争以来の日本の支援に対する恩返しです。」「あの時に日本が差し伸べてくれた支援に対する感謝の念を、クウェート国民は、世代を超えて忘れることはありません。」

第二の訪問国クウェートは、東日本大震災の際に、世界各国の中でも群を抜いた支援をしてくれました。そのお礼を申し上げたのに対する、クウェートの皇太子や国民議会議長のお話です。このクウェートからの支援の一部で、三陸鉄道の車両を購入させて頂きました。被災地域の方々のお礼の寄せ書きをお渡ししました。

「情けは人の為ならず」。外交も、相手が困っている時に手を差し伸べる。この積み重ねが、国と国との信頼関係を築いていきます。

「湾岸戦争以来の日本の支援に対する恩返しです。」「あの時に日本が差し伸べてくれた支援に対する感謝の念を、クウェート国民は、世代を超えて忘れることはありません。」  第二の訪問国クウェートは、東日本大震災の際に、世界各国の中でも群を抜いた支援をしてくれました。そのお礼を申し上げたのに対する、クウェートの皇太子や国民議会議長のお話です。このクウェートからの支援の一部で、三陸鉄道の車両を購入させて頂きました。被災地域の方々のお礼の寄せ書きをお渡ししました。  「情けは人の為ならず」。外交も、相手が困っている時に手を差し伸べる。この積み重ねが、国と国との信頼関係を築いていきます。

 

 

 日本から外国への発信の必要性が語られています。

 

 その発信に関しての私の見解表明を紹介します。

 

 テーマは「日本のナショナリズム」です。

 

                                   =======

 

 アメリカ学者たちへの語りかけ

 

 日本からアメリカに向けての一定メッセージの発信となれば、まず新聞やテレビ、ラジオというマスメディアに視点を合わせることが効率上、第一の方法であろう。こちらの思考や心情、そして訴えがこちらの言葉そのままに多数の読者や視聴者、聴取者に届くのである。

 

しかし当然ながら、マスメディア経由ではない発信の方法も機会も存在する。アメリカのとくに首都ワシントンでごく頻繁に開かれるセミナーやシンポジウムで意見を発表するというのも、その有効な方法の一つである。

 

  私はワシントンで長年、活動してきて、研究所や大学の主催するその種の集いで、実際に講演や報告をすることを求められるのも珍しくはなくなった。

 

 その一例を紹介したい。とくにこの発信メッセージは「日本のナショナリズム」というタイトルだった。日本側での実情が海外で誤解されることの多いテーマである。

 

 二〇〇七年十二月八日だった。

 

 アメリカの大学や研究所に所属する日本研究者たちの全国学会の「ワシントン・南東部部会」が主催した秋の会合のセミナーだった。

 

 主題は「日本のナショナリズム」である。

 

 私がいわゆる基調講演者だった。参加者はワシントンと周辺のメリーランド州、バージニア州などの大学や研究所の学者たちが主体だった。

 

 私の講演の題はあえて「日本のナショナリズム=神話と現実」とした。

 

 以下はその内容の英語から日本語への翻訳である。

 

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 「本日はこの集いにお招きいただき、ありがとうございました。

 

 さて本日は日本のナショナリズムについてお話しをしたいと思います。

 

 アメリカの学界でもジャーナリズムの世界でも、日本に関連していつもよく使われるのは『日本のナショナリズム』という言葉です。

 

 しかしこの言葉が投射するイメージは往々にして日本での現実とは一致しないことがあります。

 

 まず第一に『ナショナリズム』という言葉自体の意味が曖昧です。

 

 その言葉を定義を考えないままに使うことは、その言葉を向けられる国の人たちにとって、誤解やあざけりを受けた感覚の原因となりがちです。

 

 おもしろいことに、このナショナリズムという言葉に似た意味を持つ語として『愛国心』というのがあります。

 

 しかし『日本の愛国心』という言葉がアメリカ側の日本研究やジャーナリズムの日本報道のタイトルとして使われることはまずありません。

 

 『ナショナリズム』と『愛国心』という二つの言葉を並列的に並べ、そのそれぞれを日本人の心情調査の基準として適用したら、おもしろいのではと思います。

 

 ナショナリズムというのは個人のレベルでは自分自身を自国、同胞、自国の文化や伝統と認識上、一致させるという意識のことでしょう。

 

ウェブスター系の英語の辞典によると、その言葉のもっとも一般的な意味は「国民による自国への忠誠や献身」を単に指す、ということです。もっと集合的、あるいは制度的な次元でのナショナリズムの意味は、自国に対する団結、責務、献身、そして犠牲などの意識ということも含まれてきます。

 

こうした属性は全世界のアメリカを含むほぼすべての国で自明であり、正常、しかも健全だとみなされています。

 

しかし日本では違うのです。

 

より厳密に述べるならば、ナショナリズムという言葉の辞書の定義には、もうちょっと異なる意味も含まれており、そのなかには「一国を他のすべての諸国よりも高揚させること」や、「他の諸国や超国家的集団よりも特定の一国だけの文化や利益への忠誠やその促進を強調すること」という定義もあります。

 

この狭義の意味のナショナリズムこそ、戦前に日本に対する欧米の評価を想起させようと意図する学者たちによく好まれて、使われるということも考えられます。

 

戦後、この定義のナショナリズムが適用されてもふしぎではない諸国は多数、存在してきましたが、客観的にみて、日本はそういう諸国のリストにもし入るとすれば、最後の最後となるでしょう。

 

『愛国心』はウェブスター系の辞典では、『自国への愛、あるいは献身』と定義されています。この言葉はアメリカでの使用ぶりをみると、よい意味で強い心情がこめられているため、あらゆる党派の政治家たち、さらには他の分野のアメリカ人たちは、この言葉が呼び起こす資質にみずからを一致させようと奮闘しています。

 

しかしながら日本への言及でアメリカその他の識者たちが『愛国心』という言葉を使うのは、きわめて稀です。おそらく『アメリカのナショナリズム』という表現のほうがいくらかは多く使われるでしょう。

(つづく)

 

 

 

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