2013年11月

アメリカなどで出た本が中国語に翻訳され、中国の国内で出版される場合、必ず当局による検閲があります。

 

中国共産党にとって好ましくない記述はどんどん削られます。

 

著者としてはどう対応するか。

 

言論の自由を踏みにじる検閲は認められないとして、本の出版自体を断わるか。

 

あるいはその中国の巨大な市場での本の売れ行きを考えて、検閲にも応じてしまうか。

 

難しい選択です。

 

そんな選択にからむレポートです。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

原文へのリンクは以下です。

 

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39218

国際激流と日本

中国当局の検閲を受け入れた
あの世界的ベストセラーの著者

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  中国での報道の自由の抑圧については前回の当コラムでも取り上げた。外国メディアへの中国当局の嫌がらせが主題だった。嫌がらせというよりも正面からの報道活動妨害と言えよう。

 

 今回はそれに関連して、中国での外国書籍への検閲について報告したい。本の出版でも同様に政府や党による抑圧が普通に行われている状態なのである。

 

 外国で出た本が中国語に翻訳され、中国人読者向けに出版される場合、中国当局がその内容を検閲することはすでに広く知られている。

 

 その際、どこまで、なにを削除してしまうのかという基準が公表されることはまずない。すべては秘密のベールに包まれている。

 

 だが出版の自由が当局によって大幅に抑圧されている事実は疑問の余地がない。ではその抑圧が具体的にどのように実行されるのか。出版社や著者だけでなく、読者にも、他の読書ファンにとっても重大な関心のあるテーマである。

検閲を受け入れず出版を拒否

 米国人の著書で、中国での検閲にからんで広く知られたのはヒラリー・クリントン氏の自伝『リビング・ヒストリー』だった。2003年に米国で出版されたこの本は日本でも『リビング・ヒストリー ヒラリー・ロダム・クリントン自伝』(早川書房)というタイトルで日本語版が刊行された。中国の出版社も関心を示し、中国語版が出される計画が進んでいた。

 

 ところがその過程で、同書のなかの中国政府に対する批判的な記述が大幅に削除される見通しが確実となった。その結果、クリントン氏は中国での自書の出版自体を拒んでしまった。中国当局の言論統制への明確な抗議の姿勢だった。

 

 米国の連邦準備制度理事会(FRB)の議長だったアラン・グリーンスパン氏が2007年に出した『波乱の時代』(日本語版タイトルも同じ)と題する本も同様の運命をたどった。

 

 中国語版が出ることとなったのだが、原本の内容があまりに多く削除されることが著者に伝えられ、グリーンスパン氏自身が中国での出版を拒んだのだった。

(つづく)

 

NHKテレビの本日11月18日の日中関係についてのニュース報道を視聴していたら、以下の断定がありました。

        

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「日本が尖閣諸島を国有化したことから日中関係が悪化した」

(朝のニュース番組での表現です)

 

「(日本により)尖閣諸島が国有化され、日中関係が悪化した」

(正午のニュースでの表現でした)

 

*いずれも視聴してすぐメモをとった記録ですが、細部の違いはあるかもしれません)

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以上の報道はいまの日中関係がよくないのは日本の尖閣諸島国有化が原因だと断じています。しかもひとつの見解としてではなく、あたかも「太陽が東から昇る」式の客観的な事実であるかのように報じているわけです。つまりNHKはいまの日中関係の悪化はひとえに日本側に原因があるのだというスタンスを明確にとっていることになります。

 

日中関係が悪化したのは、日本の2012年9月15日の尖閣国有化が原因ではありません。この「国有化」は中国が日本攻撃の理由に使っているだけなのです。

日中関係悪化の原因は中国側の言動にあります。しかも山のようにです。

 

しかしわが日本の公営放送のNHKは、その日中関係悪化の「因果関係」について全体の実態をみずに、中国側が望み、主張するプロパガンダをオウム返しに繰り返しているのです。

 

いまの日中関係の悪化については以下の原因や要因があげられます。

 

(1)2010年9月に中国漁船が尖閣近くの日本領海に侵入し、日本の海上保安庁の船に体当たりした。

 

(2)2010年9月に 中国がその漁船の船長の処遇についての日本側への圧力として日本企業の社員4人を逮捕した。

 

(3)2012年9月の日本政府の尖閣国有化は東京都による尖閣購入への中国側の反発を鎮める措置であり、野田政権はその意図を中国側に説明した。

 

(4)2012年9月から10月にかけ中国政府は全土で反日の暴力破壊行動を扇動し、許容した。

 

(5)中国は2012年以来、軍艦、公艦、軍用機などを尖閣諸島の日本領海、日本領空に頻繁に侵犯させる軍事がらみの攻勢を一段と強めてきた。

 

(6)中国は尖閣諸島の領有権を日本側が譲らない限り、首脳会談には応じないという姿勢をみせている。

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中国側がこれだけの一方的、暴力的、軍事的な措置を取った結果、日中関係が悪くなったのにもかかわらず、わが日本の公営放送のNHKは「日本の尖閣国有化が日中関係を悪化させた」と断じるのです。

 

繰り返しますが、日本の尖閣国有化は中国に配慮したソフトな措置だったのです。

しかも日本が固有の領土だと主張する島を国有化することはごく当然であり、自然です。さらにその措置はあくまで法の論理に従う平和的な手段です。

 

ところが中国はその平和的な手段に対し、日本の工場や商店を破壊するという暴力的な手段を取ったのです。さらに軍事力を動員して、日本への領海侵犯、領空侵犯を繰り返すのです。

 

そもそも尖閣の国有化や東京都による購入は中国側による侵犯、侵入への防御的な対応でした。まず最初に中国側の侵犯行動ありき、なのです。尖閣の現状を変えようとしているのはあくまで中国なのです。

 

NHKはその本当の原因を無視して、長いプロセスのなかでの一段階に過ぎない日本側がやむにやまれずにとって防御の動きだけをピックアップして、「原因」だと喧伝するのです。この対応パターンは中国政府の主張とまったく同じです。

 

NHKの経営委員会のメンバーの方々にも是非、知っていただきたいNHKの偏向報道の実例です。

 

 

第二次大戦での日本のアジア、太平洋での軍事行動はアジアの解放の意義があった――

 

以上の見解を日本人が語れば、「軍国主義者」とか「保守反動」だとして、悪魔扱いされるのが日本の現実です。いやいわゆる国際社会での常識だったともいえるでしょう。

 

しかし次の一文を読んで、びっくりし、感動しました。

 

日本で生まれ育ったインド人の女性が戦争の最中から日本の戦争行動はインドでのイギリスの植民地支配の抑圧をはね返し、インドの独立、解放を目指す意義があったと明言しているのです。しかもその女性は戦時中、日本軍と行動をともにする軍人として志願し、戦地にも出かけていたというのです。

 

日本経済新聞の11月4日朝刊に掲載された寄稿です。

 

日本育ちのインド女性が日本軍とともに戦うために出征し、イギリス軍を敵としたというのです。

 

一人でも多くの日本人に読んでほしい一文です。 


 

 

 

 

日本にいたインド独立の志士


 

バーラティ・アシャ・チョードリ

バーラティ・アシャ・チョードリさん



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インド独立の志士 朝子
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日本育ちの少女だった私はボースに傾倒、出征した。

「新しく 生まれ変わりて 一兵と なりたまりしも 心淋しき」

弾の破片が目に刺さり眼帯をしている(1943年6月)

チャンドラ・ボース氏と。 弾の破片が目に刺さり眼帯をしている(1943年6月)



太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった1945年3月、17歳の時に詠んだ歌だ。詩や文学の世界に浸り「おセンチ」と呼ばれていた少女が、恐怖を振り払い「インド独立の志士」であろうと葛藤している。あのころの自分を抱きしめたくなる。

圧政に苦しむ祖国思う

私は28年、神戸で生まれた。両親はインド人。「希望」という意味のヒンディー語で「アシャ」と名付けられたが、「朝子」と呼ばれて育った。神戸の小学校 を卒業後、東京に転居。昭和高等女学校(現昭和女子大)2年の時、インド独立運動の指導者チャンドラ・ボースが結成したインド国民軍に身を投じた。冒頭の 歌はその時のものだ。

父アナンド・サハイはボースの側近で23年から神戸に身を寄せていた。当時、インドは英国の植民地。国民は圧政と搾取に苦しんでいた。「非暴力・無抵抗主 義」を掲げるマハトマ・ガンジーとたもとを分かち武力闘争を掲げたボースの招請を父は画策。偽装離婚した母をコルカタにいたボースの元に秘密裏に送り、訪 日を促した。

戦時下の我が家は日本の家庭そのもの。日本人と同じ配給を受け隣組にも参加した。薄いおかゆをすすり、モンペをはいて登校。千人針を縫い、家族で戦勝祈願 の神社参りもした。母はカレー用の豆や小麦粉を防空壕(ごう)に隠し、多忙な父がたまに家にいると、祖国の料理をふるまった。

空襲の時は防空壕から日米の空中戦を眺めた。日本の戦闘機が撃たれ、操縦士が白いハンカチを振りながら散っていくのが見えた。「祖国のためにあんな風に死ねたらいいね」と妹と話した。

病み上がりで終戦迎え

ボースの来日は、私たちに新しい生命を与えた。初めて彼に会った日、私はインド式に礼を尽くしその足先に手を触れた。これがいけなかった。「我々は150 年前から奴隷のように頭を下げているのに、まだ下げ続けるのか! 独立するまで誰にも頭を下げてはならない」と雷を落とされた。この日から、妹との挨拶も 国民軍の合言葉「ジャイ・ヒンド(インド万歳)」になった。

私に出征を決意させたのは、44年3月に始まった日本軍とインド国民軍による「インパール作戦」だ。インド北東部で両軍が共闘し英軍攻略を目指した。居て も立ってもいられず、私たち姉妹は入隊をボースに志願。すると「花のような娘たちが戦えるのか」とからかう。ムッとした私は「私たちが国のために死ねるの を閣下は知らない」と言い返してしまった。

結局、私だけ入隊を認められた。45年3月21日早朝、軍服姿の私は日の丸と万歳三唱で見送られた。母の顔を見れば涙があふれそうで目をそらし続けた。「勝ってくるぞと勇ま〜しく〜」。今も軍歌はそらんじている。

バンコクで念願のインド国民軍女性部隊へ入隊。しかし、インパールから飢餓や感染症で壊滅状態となった日本とインドの兵士が次々に戻ってくる。訓練を終え少尉になった矢先、マラリアにかかってしまい、病み上がりで終戦を迎えた。日本が負けるなんて信じられなかった。

46年にインドに入国、日本にいた家族とも再会した。47年にインドが独立。しかし、パキスタンを失っての独立は、我々が目指したものとはほど遠かった。 その後、私はインド人男性と結婚し、2人の息子に恵まれた。子育てが一段落した後、祖国の言語と歴史を学ぼうと、ヒンディー語を勉強し直し、女子大学の通 信講座で古代インド史の学士号を取得した。

「遺骨をガンジス川に」

74年には、日本語で書き綴(つづ)っていた日記(43〜46年分)をヒンディー語で出版した。2010年には、母校の昭和女子大が「アシャの日記」としてまとめてくれた。

私の夢は、蓮光寺(東京都杉並区)に安置されているボースの遺骨をガンジス川に流すことだ。ボースは終戦直後、台湾での飛行機事故で落命。遺骨はひそかに 日本に運ばれた。国内ではガンジーら現与党・国民会議派と対立したボースの評価は政治的にデリケートで、事故死の信憑(しんぴょう)性を疑う人も多い。そ うであっても、ガンジーの誉れとは裏腹に、ボースの遺骨はなぜ祖国に帰ることがいまだ許されないのか。

昨年、日本とインドは国交60周年を迎えた。両国の関係はかつてなく良好で、遺骨返還の環境は整いつつあると思う。今月末には天皇・皇后両陛下が訪印される。もし謁見(えっけん)が許されたなら、私の数奇な人生についてお話したいものだ。(元インド国民軍女性部隊少尉)

 

田久保忠衛氏が興味を惹かれる一文を本日の産経新聞に寄せています。

 

 

正論】杏林大学名誉教授・田久保忠衛 台風被害救援で日米比の連帯を


 

 

 

 フィリピンのアキノ大統領は、「死者は2000人ないし2500人」と米CNNテレビに答えていたから、犠牲者数は当初伝えられた1万人に達しないです むかもしれない。直撃されたレイテ島のタクロバン市に降り立ったガスミン国防相は、「電気も水も何もない。人々は死に物狂いだ」と語った、と米紙は伝えて いる。現地に入れず隣のセブ島で書いている記事だから、惨状が伝えられてくるのはこれからに違いない。

 ≪迅速な米軍、オスプレイも≫

 東日本大震災でお世話になったフィリピンが、異例の大規模台風「ハイエン」で受けた人的、物的被害に対しては言うべき言葉もない。亡くなった方々には衷心からお悔やみを申し上げたい。

 「世界の警察官になるべきではない」などとのオバマ大統領の発言があったから、余計に新鮮だったのかもしれないが、米軍の展開は迅速だった。10日には 沖縄駐留海兵隊約90人がタクロバン空港に飛び、被害状況から判断して、すぐC130輸送機と新型輸送機MV22オスプレイの来援を海兵隊本部に要請して いる。危機に際して海兵隊やオスプレイがいかに人道的な活動をするか、沖縄で反基地闘争にかまけている活動家は、自分の目で学習したらいい。

 5000人の要員や災害救助などに当たるヘリコプター部隊を搭載した原子力空母ジョージ・ワシントンは、巡洋艦や駆逐艦を従えて現場に直行している。2 年半前に発生した東日本大震災の際にわれわれが目の当たりにした「トモダチ作戦」が今、フィリピンでも展開されようとしている。

 米軍の行動が含んでいる政治、安全保障面での意味合いは小さくない。日本もフィリピンも、それぞれ東シナ海と南シナ海で隣の大国からいわれのない難癖を 付けられている。アキノ大統領は、フィリピンの戦略的パートナーは米国と日本だと明言し、デルロサリオ外相は毎日新聞に、「防衛力の正常化など(日本の) 憲法が改正されれば、日本との防衛条約締結を前向きに検討する」(今年3月13日付)とまで述べている。日米、米比関係が軍事同盟で結ばれている事実を考 えれば、今後も日比のつながりは強まることはあっても弱まることは考えにくい。

 ≪手際良い援助、自衛隊派遣≫

 自民党を含む戦後の政治家たちの国際情勢音痴と軍事アレルギーには何度も絶望的になった私が関心を持ったのは、安倍晋三政権の手際の良い対応だった。第 1は、菅義偉官房長官が発表した1000万ドルの緊急無償資金協力だ。米英豪と見劣りしない。追加支援策も検討しているというから、日本の真心は理解して もらえよう。ニューヨーク・タイムズ紙社説は4カ国の額を示し、フィリピンと対立する中国は「わずか20万ドル」と批判した。

 第2は、官房長官が岩崎茂統合幕僚長と自衛隊派遣について協議した後、自衛隊から国際緊急援助の先遣隊として、医療チームを中心とした要員約50人を 送ったことだ。次いで、小野寺五典防衛相は最大1000人という過去最大規模の派遣準備に入った、と発表した。これこそまさにシビリアンコントロールでは ないか。

 個々の官僚に優秀な人材は多いが、重要な政治判断を歪(ゆが)めてきたのは、「先例はどうだったか検討する必要がある」「物事には順序がある」といった 役所特有の遁辞(とんじ)である。昨年3月の東日本大震災追悼式で、多額の支援をしてくれた台湾の代表に献花させない無礼があり、野田佳彦首相が謝った後 で藤村修官房長官が「あれで問題はなかった」と述べた大失態は、政治主導を口先だけで叫んできた政治家が事務方に手玉に取られた好例ではなかったか。今回 の対比支援は、明らかに政治の判断で動いているように見受ける。

 ≪独立支援にさかのぼる関係≫

 フィリピンは先の戦争で日本の犠牲になったとの見方をことさら強調する向きは、フィリピンよりむしろ日本に多い。しかし、歴史のうねりの中で観察すれ ば、19世紀末にスペインによる過酷な支配から独立を求めた人たちを支えたのは日本の志ある人々だった。革命軍司令官、エミリオ・アギナルドの要請で民間 の有志が布引丸に武器・弾薬を積んでマニラに向かうが、途中で暴風雨に遭って沈没する。秘話、布引丸事件だ。

 独立運動の英雄、ホセ・リサールは1888年に帝国ホテルの前身の東京ホテルに滞在し、日本側関係者と接触した。東京ホテルの跡地、日比谷公園の片隅に戦後、彼の胸像が駐日フィリピン大使によって建てられた。今でも周辺は清掃され、像は磨かれている。

 アキノ大統領は就任以来3年半にわたって南シナ海では中国の圧力に対抗、国内では腐敗一掃政策を推進し、反政府勢力との戦いを続けている。今回の大災害 も克服するだろう。ついこの間まで「平和的台頭」を自称していた中国は、「危険な台頭」に変じた。次は海洋国家の「平和的台頭」の時代が始まるかもしれな い。フィリピンの一日も早い復興を祈りつつ思うのは、このことである。(たくぼ ただえ)

 

中国の外国メディア弾圧の報告を続けます。

 

このエントリーはこれで完結です。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

原文へのリンクは以下です。

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39148

 

国際激流と日本

ロイター記者、ブルームバーグ・・・、
中国が外国メディアを狙い撃ち批判的な中国報道を「粛清」へ

 

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 これらの記事は、ブルームバーグの香港駐在の2人の記者が中国本土に何度も出向いて取材を重ねた結果、書き終えられた。だが同社のニューヨーク本社の編集幹部の判断により、11月上旬に予定されていた配信はしないという措置が決まったという。

 

 ニューヨーク・タイムズの同報道によれば、ブルームバーグのマシュー・ウィンクラー編集主筆は「2つの記事を完全にボツにしたわけではない」と反論した。

 

 だが、同社の香港駐在の複数の社員や記者たちによれば、ウィンクラー主筆は「この種の記事を実際に流すと中国政府を激怒させ、ブルームバーグ全体 が中国から追放される事態になりかねない」と述べ、「問題の記事2本を使わないようにしたのは、そうした事態を起こさないようにする配慮なのだ」と説明し たという。

前例がない大がかりなメディア規制

 中国の共産党や政府はこれまでも外国の記者や報道機関に対し圧力をかけ、中国側にとって不利になる報道があると厳しい報復や制裁の措置を取ることはよくあった。

 

 しかし今回のように、米国などの大手メディア全般と言えるほど広範囲に、しかも個別の機関や記者の過去の報道を理由に、将来の中国での報道活動を禁じるという体系的なメディア弾圧は前例がないという。

 

 中国当局のこうした一方的な威嚇の措置は外国メディア側にすでに報道活動の自粛を生んでおり、今後さらに深刻な影響も懸念される。

(終わり)

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