2014年01月

 新しい本を出しました。

 

産経新聞の北京駐在の矢板明夫記者との共著です。

 

いまわが日本が最も多くの関心と注意とを向けねばならない国であるアメリカと中国。それぞれの大国でいまなにが起きているのか。そして米中両国の関係はどうなるのか。

 

北京とワシントンの両方からの直接の報告です。

 

 

 

 

 

内容紹介

●アメリカと中国を知らなければ世界は分からない! ●
◎習近平の迷走はこれからも続くのか?
◎アメリカはどう中国に対するのか?
◎尖閣諸島をどうやって守ればいいのか?


日本を取り囲む国際情勢が激変している。
アメリカは緊縮財政やオバマ政権の方針で内向き志向が高まり、
中国はもっぱら外洋への進出を熱望。そして、間に挟まれた日
本を中国の毒牙が鋭く狙っている。
いまこの二大国が国内情勢、対外戦略でどのような思惑を持っ
ているのかを知ることは非常に重要である。 本書では、いま
知っておきたい米中の内実を、産経新聞記者として米中に精通
した二人が鋭く読み解く! !
 

著者について

古森義久(こもり よしひさ)
産経新聞ワシントン駐在客員特派員。国際教養大学客員教授。
東京生まれ。1963(昭和38)年、慶應義塾大学経済学部卒。米国ワシントン大学
留学。毎日新聞社社会部記者、サイゴン、ワシントン特派員、政治部編集委員を
歴任。87年に産経新聞社に移り、ロンドン、ワシントン支局長、初代中国総局
長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員を歴任。81~82年、米国カーネギー
国際平和財団上級研究員。
ベトナム報道でボーン国際記者賞、「ライシャワー核持ち込み発言」報道で日本
新聞協会賞、東西冷戦終結報道で日本記者クラブ賞、『ベトナム報道1300日』
(講談社)で講談社ノンフィクション賞などを受賞。
著書に、『日中再考』(産経新聞)、『中・韓「反日ロビー」の実像』(PHP研
究所)、『危うし! 日本の命運』(海竜社)、『「無法」中国との戦い方』
(小学館)、『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』(幻冬舎)など
がある。

矢板明夫(やいた・あきお)
産経新聞中国総局(北京)特派員。
1972年、中国天津市生まれ。15歳のときに残留孤児2世として日本に引き揚げ。
千葉県出身。1997年、慶應義塾大学文学部を卒業。同年、松下政経塾に入塾(第
18期)、アジア外交が研究テーマ。その後、中国社会科学院日本研究所特別研究
員、南開大学非常勤講師を経験。2002年、中国社会科学院大学院博士課程修了
後、産経新聞社に入社。さいたま総局記者などをへて2007年より現職。
『習近平 共産中国最弱の帝王』(文藝春秋)で、第7回樫山純三賞を受賞。
その他著書に、『戦わずして中国に勝つ方法』(産経新聞出版)がある。

 

 

 安倍首相の施政方針演説を通じての日本という国家についての考察です。

 

このテーマはこのエントリーで終わりです。

 

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

 原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39796

国際激流と日本

大事な部分がなぜ抜かされたのか?
安倍首相が引用したケネディ大統領演説

                        

                                                    _________-----------------

 

 しかし現実の世界では、国際秩序や国際社会を構成する最高水準の単位は常に主権国家である。世界のどの人間を見ても、国家の一員ではない人は存在 しない。「世界市民」などという曖昧な規定は、まず特定国家のメンバーであってこそ成立し得るのだ。いまの世界のどの人間集団も国家の枠組みの中にあるこ とを忘れてはならない。

 

 ただし民主主義であれば、国家は国民、つまり人間集団を守るために存在する。安倍首相が今回の演説で指摘した「自由、民主主義、人権、法の支配」 に拠って立つ国家ならば、それは国民によって作られ、選ばれる政治統治機構である。国家自体は決して悪でも抑圧機構でもないのだ。

 

 集団を守り、束ねるために、ある程度の強制力を持つことは国家の要件である。だが、その枠組みは国民の意思によってどうにでも変えられる。国民が築いて、動かすのが国家なのだ。

 

 ただし中国のように民主主義が存在しなければ独裁国家となり、それこそ国民の意思を反映せずに、国民を弾圧する側にも回る。だから国家にとって、民主主義か否かが致命的な分水嶺となる。

 

 戦後の日本が、現在も含めて完全に民主主義国家であることは明白である。それなのに国内の一部勢力は、日本を「国」や「国家」として見なすだけで 即座に悪者扱いしてきた。国家や政府のすることは「すべて悪」であるかのような虚構の絵図を描いてきた。そのためにはいまある国家を暴力的に倒すことをさ えも煽ってきたのである。

 

 安倍晋三氏が挑戦するのも、そうした日本の戦後の歪みだと言えよう。そうした大きな観点から眺めると、今回の施政方針演説でのケネディ演説引用は、安倍氏の政治姿勢の後退とも受け取れかねないのである。

(終わり)

 

  安倍首相は施政方針演説で、なぜ日本の「国」への国民の貢献を語ることを避けたのか。

 

   

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

 原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39796

国際激流と日本

大事な部分がなぜ抜かされたのか?
安倍首相が引用したケネディ大統領演

                        

                                  _________

  安倍演説はこの最重要な部分をすっぽりと抜かして、ケネディ大統領が自国民への訴えもせずに、いきなり世界の市民に呼びかけたかのようにも受け取れる引用の仕方をしているのだった。

 

 ケネディ大統領にとって、米国の国民に国家への責務や貢献をまず説くことが最重要だったように、安倍氏の年来の理念も、日本の国民に日本という国 家の重要性を改めて訴えることだった。その点こそが、安倍氏が年来、唱える「戦後レジームからの脱却」の本質部分でもあったはずだ。

 

 それが今回の安倍演説では、日米同盟の大切さを説くためとはいえ、日本人にとっての「国」の重要性が埋もれてしまった観なのである。

国家の一員ではない人は存在しない

 この膨大な施政方針演説を、安倍首相個人がすべて起草したはずはない。首相の思考をよく知る専門家が土台を書いたのだろう。だが、その草案からは 安倍理念の真髄を象徴するはずのケネディ大統領の言葉はあえて外された。あるいは、ずらされた、と言った方がいいかもしれない。

 

 「米国民が米国のために」というケネディ演説の核心を引用せずして、なんのための引用か、とさえ問いたくなる。安倍晋三という政治家の長年の政治理念を見聞してきた一員として残念に感じるのだった。

 

 今回の安倍演説はケネディ演説を使いながらも、ケネディ演説の心臓部にあえて背を向けて、2つのスピーチの間のギャップだけをケネディ演説をよく知っていた人たち、そして安倍理念の本質を知ってきた人たちの両方に見せつけた、というのはあまりに厳しい見方だろうか。

 

 戦後の日本では「国」という概念があまりにも極端に否定されてきた。米国の占領政策、日本国民の戦争被害、そして戦後の共産主義思想などがその原因だろう。

 「国」と言えば、「国家」となり、「国家権力」となって、「国民弾圧」さらには「暴力機構」という連想ゲームのように、国の基本理念にはいつも危 険なレッテルが張られてきた。国家は、いつも国民と対抗する、国民を抑圧し、支配し、被害を与えるメカニズムとも見なされてきた。

(つづく)

 安倍首相の施政方針演説についての一考です。

 

なぜかケネディ演説の真髄だった「国」を提起しなかったのか。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

 原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39796

国際激流と日本

大事な部分がなぜ抜かされたのか?
安倍首相が引用したケネディ大統領演説

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 しかしその直後に首相が引用したジョン・F・ケネディ大統領の演説にはどうしても奇異な印象を抱いた。その部分の安倍演説をまず見よう。

 

 「(基本的な価値を共有する国々との連帯の)その基軸が日米同盟であることは、言うまでもありません。

 『世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい』

 昨年着任されたキャロライン・ケネディ米国大使の父、ケネディ元大統領は、就任に当たって、世界にこう呼びかけました。

 半世紀以上を経て、日本は、この呼びかけに応えたい。国際協調主義に基づく積極的平和主義の下、日本は、米国と手を携え、世界の平和と安定のために、より一層積極的な役割を果たしてまいります」

 

 日米同盟を基礎とする日本の対米協力を説くには強力な支えとなるケネディ大統領の言葉の引用だった。だがこの言葉はこれまであまり知られていなかった。ケネディ演説でのこれに似た表現で、もっとずっと有名な言葉といえば、疑いなく以下だった。

 

 「米国民同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい」

 

 ケネディ大統領は実際の演説では、まずこのように米国民に訴える言葉を述べて、その後に続けて、今回、安倍首相が引用した言葉を述べていた。つまり、聴衆にまず求めたのは、米国民としての米国への貢献なのである。

 

 安倍首相の語るままにケネディ演説を考えると、ケネディ大統領がいかにも自国の国民よりも、まず世界各国の市民に対し「人類の自由」のために自主 的な努力をすることを訴えたかのように思える。しかし現実にはケネディ大統領はまず米国人に対して、米国という国家のために何ができるかを問え、と訴えて いた。

(つづく)

 

 安倍晋三首相の施政方針演説を聞いて、奇妙なことを感じました。

 その点をまとめて書きました。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

 原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39796

国際激流と日本

大事な部分がなぜ抜かされたのか?
安倍首相が引用したケネディ大統領演説

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 安倍晋三首相が1月24日、国会で施政方針演説をした。第186回国会が召集されるのを機に、安倍首相がどのような「国づくり」をしていくのかという抱負を語るための演説だった。

 

 だが、この演説で首相が使った米国のジョン・F・ケネディ大統領の就任演説からの引用はやや奇異であり、国づくりの中で「国」の比重を減らしたか のように響いた。首相が唱えていた日本の「戦後レジームからの脱却」をいくらかスローダウンさせているような印象をも与えた。どうも「安倍らしさ」に欠け るようなのである。安倍演説とケネディ演説の溝とも言えようか。

 

 安倍首相の演説は日本国内の経済や社会の目前の課題をまず最優先させていた。「東北の災害復旧と創造」「日本経済の3本の矢」「女性の活躍」「外 国人観光客の受け入れ拡大」「2020年の東京オリンピック」というようなテーマである。いずれも重要だが自明とも言える課題だろう。

 

 その一方、安倍氏が本来の最大目標とする日本の国の根幹を立て直す取り組みが出てこないのだ。なんといっても憲法への言及がないのが気になった。 主権国家として当然の権利を戦後の日本が自ら奪っている「戦後レジーム」からの脱却の提起もなかった。普通の独立国家へと歩む明確な道のりも聞かれなかっ た。経済主体の枝葉に終始するという感じなのだ。

 

 この国会での課題はあくまで経済や社会など、目に見える切迫したテーマが主体だからだろうか。あるいは靖国参拝を内外で叩かれたため、国家とか戦後というトピックはひとまず避けたのだろうか。

ケネディ大統領はまず米国民に呼びかけた

 そんな演説のなかで、国家の根幹に触れたとも言える、数少ない部分は「積極的平和主義」についての領域だった。首相はこの部分で「集団的自衛権」 「国家安全保障戦略」を強調し、日米同盟の強化を訴えていた。その基盤として「自由、民主主義、人権、法の支配」という基本的な価値観の共有も挙げてい た。このあたりはいかにも安倍氏らしい主張だなとも感じさせた。

(つづく)

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