2014年03月

 こんな記事を書きました。

 

朝刊 国際】


【緯度経度】古森義久 米紙「安倍たたき」の裏に


 

 日本の防衛政策や歴史認識に対して米国の大手新聞ニューヨーク・タイムズがこのところ一貫した激しい攻撃の社説を載せている。安倍晋三首相個人への誹謗(ひぼう)に近い非難も目立つ。

 

 3月2日付の「安倍氏の危険な修正主義」と題する社説は安倍首相が南京虐殺はまったくなかったと言明したとか、安倍政権が慰安婦問題で河野談話を撤回するとの虚構を書き、日本政府から抗議を受けた。さすがに同紙側も慰安婦問題についての記述を取り消すとの訂正を出した。

 

 だがオバマ政権が歓迎する日本の集団的自衛権の解禁さえ、軍国主義復活として扱う「反日」姿勢は変わらない。

 

 ニューヨーク・タイムズのこの種の日本批判の社説を書く側に、実は特定の日本人学者が存在する事実は日本側ではほとんど知られていない。同紙は昨年10月に論説部門の社説執筆委員として日本人学者の玉本偉(まさる)氏を任命したことを発表した。

 

 玉本氏は数年前から同紙の定期寄稿者となっていたが、それが正規の論説委員に昇格した形となった。

 

 玉本氏といえば、日米関係の一定の領域では知る人ぞ知る、評判の左翼学者である。

 

 実はこのコラムでも2006年8月に「日本発『公的な反日論文』」とい う見出しの記事で報じたことがある。

 

 当時、日本の外務省管轄下の日本国際問題研究所で英文発信を任じられ、日本の歴代政府や国民多数派の見解を「愚かで挑 発的」「軍国主義的なタカ派」と断じる自分の主張を流していたのだ。

 

 玉本氏は一連の英語での意見発表で日本での靖国神社参拝を邪教を連想させる「靖国カルト」という表現で非難したり、北朝鮮の日本人拉致は「もう解決済みなのに日本側は対外強硬策の口実に使っている」とも述べてきた。

 

 ニューヨーク・タイムズの社説は無署名だから誰がどの社説を書いたかは外部からは断じられない。だが現在の論説委員は委員長も含めて18人で、そのうち 国際問題担当とされるのが玉本氏はじめ3人、うち2人は欧州やロシアの専門と明記されているから日本関連の社説は玉本氏の専門としか考えられない。

 

 同紙の論説副委員長のテリー・タン記者(中国系米人)らの発表では、玉本氏は今は日本の横浜駐在で、ニューヨークのリベラル系研究機関「世界政策研究 所」上級研究員やイギリスのケンブリッジ大学研究員を歴任してきた。日本側では前述の日本国際問題研究所在勤のほか立命館大学助教授だった記録もある。

 

 当然ながら、米国の新聞や日本人の学者が日本の政府や国民多数の態度を批判することも言論の自由である。

 

 だが玉本氏のように日本全体を指して「(対中姿勢や歴史認識について)精神分裂」とか「外国の真似(まね)でしか進歩できない」と断じ、日中の意見の衝突でも一貫して日本側に非があるとする主張を「反日」と総括することも言論の自由なのだ。

  

 前述の当コラムで玉本氏の主張を批判すると、同氏を支持する日米の左派系勢力から言論の弾圧だとする攻撃が起きた。左派は自分と異なる意見は口汚いまでの表現で攻撃するが、自分の意見を批判されると、とたんに言論弾圧だと開き直る。

 

 ニューヨーク・タイムズの社説の一連の「安倍たたき」の背景を指摘することは、言論弾圧などではまったくないことを事前に強調しておこう。(ワシントン駐在客員特派員)

ワシントンではそろそろ桜祭りの開幕です。

 

それにあわせて日本から歌手の夏川りみさんが来訪して、今夕、3月20日の午後6時からケネディセンターでコンサートを開きました。

 

無料の催しだったせいもあるのか、びっくりするほどの聴衆が集まりました。

いや、というよりやはり彼女の歌の魅力のためでしょう。

とにかく数百人としかいえない集まり方で、用意されたイス席はいっぱい、背後の空間にびっしり立ち、階段も座った人たちで満員でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がこのようなテーマをブログに書くことは奇異と思われるかもしれません。

しかしワシントンの春を告げるにはふさわしいニュースだと思いました。

それになによりも、私自身が夏川りみさんの歌が大好きだからでしょう。

だからわざわざ出かけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンサートはちょうど一時間ほど、夏川さんは10曲ほど同行したバンドの演奏で沖縄関連の歌を唄ってくれました。

会場の聴衆はアメリカ人が多いですが、いかにも沖縄出身らしい日本女性たちも多数きていました。沖縄、石垣島などの歌が盛り上がると、踊り出す人たちも出てきて、

よい雰囲気となりました。

 

圧巻はもちろん「涙そうそう」でした。

「古いアルバム、めくリーーー」というメロディと歌がポトマック河畔に流れる情景は

ワシントンの春の桜祭りオープンに、いかにもふさわしい模様となりました。

 

 前原誠司議員のワシントンでの演説の紹介です。

 

さてこの演説の主眼はどこにあるのか。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40204

国際激流と日本

米国に出向いて演説した民主党・前原氏、
首をかしげる安倍政権批判の中身とは

 

                                  ++++++++++

 『米国政府は、安倍首相の靖国参拝に対して失望したという声明を出したが、共和党政権のときは誰ももそんな誤解をしたり、揚げ足をとることはな かった。むしろ日本側こそが、米国のそんな対応に失望したのだ。いまの米国は、中国に対して正しいことを述べることを恐れている。米国は中国に対しての言 い訳が必要だと考えたために、日本に対し、失望したと述べたのだろう。いまの米国は日本のような重要な同盟国に対して、なぜもっと敬意を表さないのだろう か』

 

 しかし、私はこの人たちには同意しません。この人たちの言葉から私が連想したのはソ連の指導者ゴルバチョフ氏の『外交では友も敵もない。あるのは国家の利害関係だけなのだ』という言葉でした。

 

 同盟は同情的な配慮から成り立っているのではありません。同盟の当事国は相手国の国益を理解し、尊重せねばなりません。日米同盟は日米双方でどんな政党が政権をとっていても、決定的に重要な2国間関係なのです。

 

 もちろん同盟当事国同士の利害がときには衝突するでしょう。しかし最も重要なことは、私たち当事国はそうした内部の衝突はあくまで内部に留め、外 部にはその食い違いを見せないことです。内部ではお互いに激しく議論をぶつけ合うことがあっても、私たちは外部に対しては相互の強い絆を見せておくべきな のです。私たちは日米関係の悪化によってどの国が利益を得るのかを正確に認識しておかねばなりません」

 

 以上が前原氏の演説の奇妙かつ微妙な部分である。

 

 前原氏がここで引用した「安倍首相の主要補佐官の2人」が誰であるかは明らかである。衛藤晟一氏と萩生田光一氏だろう。オバマ政権が安倍晋三首相の靖国神社参拝に「失望」を表明した際、衛藤と萩生田の両氏が反論した事実は日本で広く報道された。

 

 その両氏の発言に対するさらなる批判も、オバマ政権の国務省報道官などから繰り返された。だから前原氏は安倍政権の高官や首相の側近に対して「米 国を批判するな」と告げているわけだ。非難していると言ってもいいだろう。日本側に対米批判があっても公式、公開の場では表明すべきではない、あくまで当 事者同士、政権同士の内部で述べ合うだけに留めるべきだ、という主張である。

(つづく)

日本の民主党政権で外務大臣だった前原誠司議員がワシントンにきて、演説をしました。

 

奇妙というか、微妙というか、おもしろい内容でした。

 

その演説についての報告です。

 

日本ビジネスプレス「国際激流と日本」からです。

 

原文へのリンクは以下です。

 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40204

 日本の民主党の前原誠司衆議院議員が、3月12日にワシントンで演説をした。米国の民主党系の研究所「アメリカ進歩センター(CAP)」が舞台だった。

 

 前原氏と言えば、民主党政権で外務大臣まで務めた政治家である。外相時代に外国人からの違法献金の疑惑を追及されたとはいえ、政策通として知ら れ、民主党の年来の重鎮だとも言える。いわばいまの日本の野党の大物が、米側の与党の民主党系のシンクタンクに招かれ、演説をしたというわけだ。

 

 その前原氏の演説がなんともいえない奇妙な内容だった。安倍政権の政策への批判を述べつつ、安倍政権は日米同盟の相手国、つまり米国に対して一切公けに批判すべきではないと主張したのだ。

 

 そうなると、オバマ政権のこのところの安倍政権への批判はどうなのか。前原氏の演説を文字どおりに受け取ると、オバマ政権の態度もけしからんということになってくる。

安倍政権高官による米国批判を非難

 前原氏の演説は「日本の外交と経済の政策:安倍政権を評価する」と題されていた。冒頭では安倍政権が韓国や中国との関係を悪化させたと批判し、自らが外相を務めた民主党政権下では、もっと上手な外交を展開していたと強調した。

 

 そのうえで、前原氏は以下のようなことを述べた。

 

 「最近、安倍首相の主要補佐官の2人が次のような発言をしました

 

(つづく)

 山梨市が社会学者の上野千鶴子氏への講演依頼を撤回しました。

 

 同市主催の講演の講師に上野氏が一度は決まっていたものの、新たに市長となった人物が自分の考えで、上野氏はその講演の趣旨からして好ましくないと判断した結果でした。

                     上野氏に関しては以下のような情報も流れています。

「辺野古」承認へ仲井間知事。沖縄の心をカネで売るのか?いや、強姦したあと札束を投げつけて去る男、のような安倍政権の「格別のご高配」。

 

 

 ところが朝日新聞はその撤回自体がけしからんと、大々的に報道し、批判をしたのです。新市長はその朝日のキャンペーンに屈した形で、その撤回をまた撤回してしまいました。

 

 しかし地方公共団体が一度、決めた自分たちの主催の講演会の講師を後からの判断で変えるというのは、珍しいことではないでしょう。けしからんことでもありません。でも朝日新聞は、けしからんという筆誅を加えたのです。

 

 なぜなのか。

 

 それは上野氏の主張が朝日新聞の主張と波長が合うからでしょう。

 

 朝日新聞は自分たちの主張とは会わない新市長に圧力をかけたのです。

 新市長の思想はけしからんというメッセージを発したのです。

 最近の安倍首相叩きと似ている思想コントロールだといえましょう。

 

 この出来事について八木秀次氏が一文を書いています。

 

 その八木論文を紹介します。

 


【正論】「おひとりさま」の勧めは無責任 高崎経済大学教授・八木秀次


 

 

 

 山梨県山梨市主催の社会学者、上野千鶴子氏の講演会(18日)が中止になったことを、朝日新聞が不当であるかのように連日(15~16日付)取り上げ て、結局、市側に中止を撤回させた。平成8年暮れから9年初頭にかけて、ジャーナリスト、櫻井よしこ氏の講演会が人権団体の中止要請や組織的な抗議電話で 次々に中止に追い込まれた際、終始冷淡に伝えた同紙のご都合主義が窺(うかが)える。

 

 ≪最期まで「個人」貫く限界≫

 上野氏の場合は、ツイッターや同紙コラムでの見解を例に、「公費で催す講演会の講師としてふさわしくない」という意見が、約10件メールなどで寄せられ、2月に初当選した望月清賢市長が問題視して一旦、中止を決めた。

 

 市民に多様な意見を聞く機会を設けるのは結構だが、行政側にもおのずと見識が必要であろう。上野氏は、性をめぐる過去の発言などが問題にされたことにつ いて、「ひとりでも最期まで在宅で」という、「講演のテーマに無関係」だと反論したが、講演のテーマ自体にも問題がありそうだ。

 

 テーマは、同氏の著書『おひとりさまの老後』(法研、平成19年)の内容を踏まえている。同書は、「女性に向けて『男いらずで生きていける』というメッ セージを送っているんだから、あれは本当は危険な本なんです」(Voice 22年9月号)と、氏自らが述べているものだ。

 

 内容をまとめると、結婚していても子供がいても離婚しても生涯独身でも、長生きすれば、みんな「おひとりさま」になる。最期はみんな同じ「おひとりさま」。離婚も生涯独身もそれぞれハッピーで決して不幸ではない。

 

 要するに、最期はみんな「おひとりさま」だから、結婚しなくていい、子供も産まなくていい、離婚も怖くないという主張である。同時に、最期まで子供など頼らずに、「おひとりさま」で在宅し続けることの勧めでもある。

 

 上野氏の主張は「個人」として生涯を貫けということに尽きる。しかし、子供など家族を頼りにせず「個人」として最期を迎えることは可能だろうか。人の幸不幸を言う前に、「個人」の福祉を国や自治体が全部面倒をみるのは財政的に不可能というものだ。

 

 ≪子との同居は「含み資産」≫

 このことは既に大平正芳政権時に予測され、政府、自民党は「日本型福祉社会」、「家庭基盤の充実」構想を打ち出した。

 

 それは、まずは国民一人ひとりの自助努力が必要であり、そのうえで家庭、地域、企業、同業者団体が国民の福祉を担い、国はあくまで最後のセーフティー ネットとなるべきだという考え方である。そして、福祉を担う存在として家庭を位置付け、国はその基盤を充実させる政策をとるべきであり、その意味で、英国 型でも北欧型でもない「日本型」の福祉社会を目指すという構想だった。

 

 現在、国民年金保険料を40年間丸々納入しての毎月の年金支給額は6万5千円である。「おひとりさま」だと、とりわけ都市部では暮らせない金額である が、子供との同居であれば、孫に小遣いをあげられる金額でもある。大平政権時は昭和50年代で、高齢者の6割が子供と同居し、その形態は「含み財産」とも いわれた。

 

 「家庭基盤の充実」構想は後の内閣によって、配偶者控除の拡充や配偶者特別控除の導入・拡充、同居老親の特別扶養控除の導入、専業主婦の第3号被保険者 制度の導入などの形で日の目を見て、家庭を子供や高齢者の福祉を担う存在にし財政的に支援してきた。しかし、村山富市政権で、社会保障の単位が「世帯から 個人へ」転換され、「男女共同参画」の名の下に家庭を「個人」に分解する政策が現在もとられている。

 

 ≪今こそ家族の機能重視策を≫

 だが、家庭を媒介とせずに国が直接、個人の福祉をみるのは今日の財政状況では不可能である。高齢者の「おひとりさま」化を煽(あお)るのではなく、近居 の親子を一単位の家族と見なして税制上の優遇措置をとることや、所得税の課税対象を所得稼働者個人単位から家族単位に転換させるといった「家族の絆」を強 める具体策(安宅川佳之著『家族と福祉の社会経済学』参照)が不可欠である。

 

 昨年9月4日に、最高裁が非嫡出子(婚外子)の法定相続分を嫡出子の2分の1とする民法の規定を違憲と判断し、その後、平等にすべく民法が改正された。 これにより法律婚による夫婦とその間の子供という婚姻共同体は制度として動揺を余儀なくされている。この問題に対応すべく、法務省では民事局に学者、有識 者、実務家、官僚から成る「相続法制検討ワーキングチーム」を設置し、私も委員として参画している。

 

 ここでは、遺産が住居だけの場合、婚外子の相続分が増えたことで妻が退去を余儀なくされることが予想されるが、妻の居住権は保護できないか、夫の両親を 介護した妻に相続権が認められないか、などが検討されている。家族の機能を重視する法制度や政策が、今まさに求められている。(やぎ ひでつぐ)

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