すでに故人となった江藤氏の軌跡を立体的に追った好書が
出ました。
中国の習近平国家主席が、日本の観光業界関係者約3000人を前にして対日和解の呼びかけとも思える演説をした。
だが、その言葉の行間には、日本国内で安倍政権への批判をあおるという計算が露骨ににじんでいた。さらに背後には、最近の米国の対中硬化に対応する戦略的な意図も見て取れた。
5月23日、北京の人民大会堂で習主席が行った演説は、中国の対日政策の軟化を思わせる内容だった。だがこの種の演説は多角的な解釈が欠かせな い。同主席の言葉をよく吟味すると、日本への従来の批判や圧力はまったく緩めておらず、むしろ日本国内の分断を目論んでいることが分かる。
人民大会堂に異様なほど多数の日本人が座って、中国の国家主席の壇上からの言葉に耳を傾ける。それは私にとってデジャブ(既視感)のある光景だった。
古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
ドローンは玩具ではなく、兵器なのだ――こんな現実を強調したくなる日本国内での最近のドローン(無人機)騒ぎである。今回の一連のドローン騒動でまず日本国内の耳目を広く集めたのは5月9日の長野市の善光寺での出来事のようだ。御開帳の式典の一行が参道を進むうち、小さな玩具のようなドローンがポトンというふうに落下した。その後の捜査で横浜市の15歳の少年の犯行だと判明した。
別のドローン事件としては首相官邸の屋上へのドローンを飛ばした男が逮捕された。こうした事件は政府や国会をも動かし、ドローンの勝手な飛行を取り 締まる法的規制の作成が着手された。しかし日本でのこの動きをみていると、まだまだ全体としてドローンを少年やマニアによる公共秩序を乱す迷惑行為のよう にしかとらえていないという印象が強い。
だが世界の現実ではドローンはすでに破壊性の強い最新鋭兵器となっているのだ。ドローンは軍事的な殺戮や攻撃の最有効手段となっている。とくにアメ リカの対テロ戦争ではいまやドローンが主要兵器なのである。中国軍もドローンの開発や利用には力を注ぎ、尖閣諸島周辺にまですでに飛行させているのだ。日 本のいまの反応はドローンのこうした軍事的危険性を直視しているとは思えないのである。
ドローン先進大国のアメリカは2004年のブッシュ政権時代にパキスタンとアフガニスタンでのタリバンやアルカーイダとの闘争で武装ドローンを頻繁 に使うようになった。その後、オバマ政権がこの対テロ戦争でのドローン使用をさらに大幅に拡大した。アメリカ政府のCIA(中央情報局)や米空軍の「ド ローン・パイロット」が地上基地からの操作で無人機を使って標的にロケットやミサイルを撃ちこむのだ。
CIAの発表ではパキスタン・アフガニスタンでの対テロ戦争ではアメリカ側は2011年8月までの1年半の間にドローンでの攻撃でテロ組織の戦闘要 員約600人を殺した。だがアメリカの民間研究機関ではこの種のドローン攻撃でテロ要員の近くにいる民間人に被害が多く出ることを指摘する。一つの調査で は、2010年前後の2年間でアメリカのドローン攻撃で約2600人が殺されたが、そのうち700人以上がテロ組織とは無関係の民間人だったという結果が 報告された。
一方、中国の人民解放軍もドローンの兵器利用に熱心である。2013年9月には「賀龍」と呼ばれる軍用のドローンが日本の尖閣諸島付近に飛来した。 このときはドローンのもう一つの主要機能である偵察が目的だったとみられる。中国軍所属の軍用ドローンが日本の領空に侵入してきた場合、日本側としてはど う対応するのか。いま日本で展開するドローン論議、ドローン対策協議でも、こうした軍事面での現実をも考えるべきだろう。
安倍晋三首相は安全保障関連法案の説明でなぜ「中国」にまったく触れなかったのか――。なんとも奇妙な現象だった。
日本の戦後の安全保障政策を根本から大きく変える一連の法案が5月14日、閣議で決定された。集団的自衛権の限定的な行使を認め、自衛隊の国際平和活動への制約を減らすという趣旨の法案である。これから国会での熱い審議が始まることになる。
安倍首相はその法案の目的や背景を説明するため、同14日、記者会見を開いた。首相はその会見の冒頭発言で、今回の安保政策の変更の原因となった 日本をめぐる安全保障上の国際情勢の変化について語ったものの、そのなかの主要要因である中国の軍事力増強や軍事的威嚇にはまったく触れなかった。いや、 「中国」という国名さえもただの一度も挙げなかったのである。
日本がなぜ今、戦後の安全保障の態勢や政策を大きく変えて、日米同盟の強化や抑止力の増強を図ろうとするのか。その背景に中国の軍事動向があることは、日本国内ではまず異論がないだろう。(つづく)
古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
中国は日本の広島、長崎の核の悲劇をも認めない――いまの日本にとって中国の反日志向がどれほど強いのかを示す出来事があった。舞台はニューヨークの国連本部である。国連が支える核拡散防止条約(NPT)の再検討会議での中国政府代表の主張だった。NPTは周知のように核兵器の拡散を防ぐという趣旨の国際条約である。
NPTが新たな宣言を文書にするという作業のなかで日本代表はその文書に「各国の指導者や未来を担う若者たちが被爆の実態を知るために広島と長崎を 訪問する」という一項を入れることを提案した。「被爆の実態に触れることで核兵器をなくそうという決意を新たにしてほしい」からだという理由だった。
ところが中国政府がこの一項に反対し、削除を求めたのである。中国の国連駐在の傳聡軍縮大使は「日本は第二次世界大戦の加害者ではなく被害者である かのように自らを描こうしている」からこの被爆地訪問の提案には反対なのだと説明した。そして中国の要求どおりこの日本提案の一項はNPTの新たな文書案 からは葬り去られてしまった。日本側としては中国のこの横暴な動きから学ぶべき教訓がいくつかある。
その第一は中国が日本にはやはりこれほど深く強い敵意を抱いているという事実である。
世界で唯一の原爆投下による惨禍は政治や外交を超える人間の悲劇だといえよう。各国の指導者たちがその実態を広島と長崎の爆心地に立って、実感する ことは現代の国際関係の駆け引きを超越する意味があるはずだ。だが中国はそうした案にさえ反対するのである。日本への否定的な政策や心情の表れだといえよ う。
第二の教訓は日本の被爆による反核の訴えが現実の国際政治のなかでは無力になりがちだという現実である。
日本では核兵器イコール悪という思考が一般にも受け入れられている。だが他方、いまの世界には核兵器こそが自国の独立や平和を守る守護神のように考 える国も存在するのだ。たとえば中国では政権自体が自国の核兵器を礼賛する。私が北京に駐在していた1999年、建国50周年を祝っての一連の祝賀式典で は中国の核兵器を開発した技術者たちへの共産党当局からの謝意や敬意がいやというほど示された。
だがそれでも日本側としては核兵器の廃絶を求める反核運動には意義はあろう。ただしこれまではこの反核はアメリカの核兵器を対象にすることがほとん どだった。今回の中国政府の動きを機にその日本の反核の運動も中国の核兵器に向かって反対の声をぶつけるようになるべきだろう。