2015年08月



国際  投稿日:2015/8/30

[古森義久]【朝日新聞は何故ここ迄中国を擁護するのか】~「中国側の陛下の謝罪要求」という実態隠す~



古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

執筆記事プロフィールBlog

朝日新聞はなぜここまで中国を擁護するのだろうか――


朝日新聞8月28日付朝刊の「侵略戦争の謝罪 新華社が求める」という見出しの小さな記事はそんな疑問を改めて感じさせた。客観報道の原則に反して、ニュースのなかの最重要な事実を故意に覆い隠すような操作までして、中国が不利になる立場をなくそうという態度なのだ。


朝日新聞のこの記事が伝えるニュースは実は中国の国営の新華社通信が日本の現在の天皇陛下に侵略戦争への謝罪を求める評論を流したことが焦点だっ た。だが記事の見出しはこのニュースの最大価値である「天皇」という言葉をあえて消していた。天皇への謝罪要求こそが最大最新のニュースなのに、その部分 だけを見出しではあえて、落としているのだ。中国側の理不尽な要求をなんとか隠そう、弱めよう、という中国擁護の姿勢がみえみえなのである。


このニュース自体は産経新聞のスクープだった。朝日新聞の同記事が出た前日の8月27日の朝刊一面トップで「陛下に謝罪要求」「昭和天皇が戦争指揮」「新華社配信」という見出しの記事だった。記事の主要部分は以下のようだった。


「中国官営の新聞、『光明日報』8月26日付は『昭和天皇は中国への侵略戦争と太平洋戦争を発動し、指揮したが、戦後には謝罪しなかった。その皇位 継承者は謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を手に入れなければならない』と主張する記事を掲載した。国営新華社通信がこの記事を配信した」


簡単な内容だが、中国側が現在の天皇陛下に戦争責任に関して謝罪を求めるというのは初めてだった。その意味では日中関係では特筆に値する大きな出来 事だったといえる。中国側のメディアはみな共産党や政府の意向を直接に反映している。まして国営新華社通信の配信は中国共産党政権の意思や要求そのものだ ともいえる。


中国当局がこうして昭和天皇だけでなく、現陛下の謝罪をも求めるということは、日本側がいくら政府や首相のレベルで謝罪を繰り返してもまだ不十分だとする中国側の本音を露呈したともいえる。


だから大きなニュースであり、日本側の他の新聞も、「新華社 陛下に謝罪要求」(読売新聞)とか「天皇謝罪要求巡り抗議」(日本経済新聞)などという見出しの記事で後から報道した。


ところが朝日新聞だけは「侵略戦争の謝罪 新華社が求める」という見出しの記事なのだ。そこには最大のニュース要因である「天皇」という言葉がないのである。日本側でこの記事の見出しをみた読者たちは中国側が天皇の謝罪を求めている事実を知らないままとなってしまう。


朝日のこの「天皇隠し」の見出し記事も記事本体では「昭和天皇の皇位継承者は謝罪で雪解けを、悔いることで信頼を」と中国側の現天皇への謝罪要求を伝えてはいた。


だが見出しでは中国側の誰が謝罪を求めているかあえて不明にしているのだ。中国側の現天皇の謝罪要求という実態を隠し、日本側の反論や怒りが高まらないことを期待する、というふうなのだ。


暴言か正論か、トランプ氏が日米同盟の片務性を非難

3万人の聴衆に訴えた「米国を守らない日本」の特殊性

2015.8.25(火) 古森 義久
 
暴論か、正論か、トランプ氏が日米同盟の片務性を非難

米共和党集会、トランプ氏招待取り消し 女性への不適切発言で

米オハイオ州クリーブランドで開かれた2016年米大統領選に向けた共和党候補の初の討論会に参加したドナルド・トランプ氏(2015年8月6日撮影)。(c)AFP/MANDEL NGAN〔AFPBB News



 米国大統領選に旋風を巻き起こしている実業家で大富豪のドナルド・トランプ氏が、日本の集団的自衛権の行使が禁止されている現状に対して激しい非難を表明した。


 日本は自国を攻撃されれば米国に防衛してもらうのに、米国が攻撃されても何もしないというのでは不公正だ、と声高々に批判したのである。日本の参 議院では安保法制法案の審議が進行中だが、審議にあたっては同盟国の米国の動きを無視することはできない。その現実がやや乱暴な形で示されたといえよう。

日米同盟の現状を不公正だと非難

 共和党候補の一員として米国大統領選予備選で活発に動くトランプ氏は、各種世論調査によると、現時点で少なくとも合計17とされる同党候補者の間でトップの支持率を保ち、共和党の「先頭走者」と評されている。


 そのトランプ氏が8月21日にアラバマ州モービル市の集会で演説した。巨大なフットボールスタジアムの会場に約3万人ともされる参加者が集まった決起集会で、トランプ氏は赤い野球帽をかぶって檀上に登場し、日本の防衛について次のように熱く述べた。

(つづく)


国際  投稿日:2015/8/24

[古森義久]【もし米が集団的自衛権の行使を拒否したら?】~安保法制反対論の大きな欠陥~

古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

執筆記事プロフィールBlog

アメリカが日本との集団的自衛権の行使を拒んだら、どうするのか――


日本のいまの平和安保法制法案の論議に対しアメリカ側からこんな挑戦的な設問が提起された。


いまこの法案の審議が参議院で続く。法案の核心は日本の集団的自衛権である。安倍政権がその集団的自衛権の行使を一部、容認しようとするのに対し、野党の民主党や共産党はその行使容認は危険だとして絶対反対の構えをみせる。


その「集団」の最大の相手はもちろんアメリカである。日本がアメリカとの集団的自衛権を行使できるようにするべきか、どうかが問題の焦点なのだ。だが日本側の議論ではふしぎなほど、そのアメリカが無視されてしまう。


だが現実には日本の防衛は「個別」でも「集団」でも、あくまでアメリカとの集団自衛が大前提なのである。要するに日本が有事には米軍の支援に頼ることが根幹なのだ。だがいまの議論はその米軍の支援には触れることがない。一国平和主義的の典型的な症状だろう。


こんな現状下で日米安保関係に精通するアメリカ国防総省の元日本部長、現在はバンダ―ビルト大学名誉教授のジェームズ・アワー氏が日本側への公開質問を打ち上げた。


「もしもアメリカが日本に対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権を日本のためには行使しないと政治的に決断したと、突然、通告したらどうなるか」


この語句はいまの日本がしていることへの反語である。「日本はアメリカに対し、法的には行使できるはずの集団的自衛権をアメリカのためには行使しない」というのが日本の現状なのだ。アワー氏はまさにその状態を逆転させて、日本側に問いかけたのだ。


日本国内の米軍が直接に攻撃を受ければ、アメリカは個別とも呼べる普通の自衛権を行使して、日本攻撃の相手と戦うだろう。だが第三国の日本攻撃が尖 閣諸島など米軍にはまったく触れない場合、米軍が日本を守る行動はアメリカにとって自国は攻撃されていない集団的自衛権の行使となる。


だからもしアメリカが日本への集団的自衛権に対して、ちょうど日本がこれまでしてきたように「保有はするが行使はできない」という政策をとれば、米軍は日本防衛にはかかわらないことになる。


アメリカが日本に対する集団的自衛権を行使しなければ、日本周辺で日本の艦艇や国民が攻撃を受けても、米軍は座視するだけともなる。こういう展望となった場合、日本はどうするのか、とアワー教授は問いかけるのだ。


同教授はこの問いを産経新聞8月11日付に寄稿した論文で明らかにした。だが彼は長年、日米間の防衛問題にかかわり、日本側の反防衛論者たちの主張 には「火事が嫌いだから、消防署をなくしてしまえ、というのに等しい」と反論してきた。確かにいまの日本側の民主党、共産党、朝日新聞などの主張は「備え なければ、憂いなし」と総括できる現実無視の傾向が感じられる。


日本の戦後の安全保障は一貫してアメリカとの集団防衛によって成立してきたことは否定できない。だからその「集団」という概念を否定するような、いまの安保法制反対論には大きな欠陥がちらほらするのである。アワー教授の問いはその欠陥を衝いたようにも思えるのだ。


 中国でのキリスト教弾圧の現状です。
 習近平国家主席がとくに力を入れて、キリスト教会の十字架を根こそぎ、破壊してしまおうというのです。
 かつてローマ帝国でキリスト教を弾圧した暴君ネロをも思わせる現代の暴挙といえそうです。

【朝刊 国際】
【緯度経度】習政権、人権弾圧のシンボル 古森義久

 「浙江省だけでこの1年半に合計1500本以上の十字架が中国政府当局により破壊され、撤去された。習近平政権の異常なキリスト教弾圧の一環なのだ」

 中国のキリスト教徒擁護の国際人権団体「中国援助協会」のボブ・フー(中国名・傅希秋)会長が熱をこめて証言した。米国の「中国に関する議会・政府委員 会」が7月下旬に開いた公聴会だった。立法府と行政府が合同で中国の人権や社会の状況を調べ、米側の対中政策の指針とすることを目的とした委員会である。 この公聴会は「習近平の中国での弾圧と支配」と題され、中国政府の宗教や信仰の弾圧を報告していた。


 米国の国政の場では習政権の人権弾圧への非難がいま一段と高まってきた。同委員会の共同議長のマルコ・ルビオ上院議員も公聴会の冒頭で「習近平政権は文 化大革命以来の最も過酷な弾圧をいま実行している」と強調した。同議員は上院外交委員会の有力メンバーで来年の大統領選に向け共和党で立候補した注目度の 高い政治家である。


 同公聴会ではキリスト教のほかチベットやウイグルでの弾圧、気功集団への徹底取り締まりが議題とされ、それぞれの被害者側の代表が証人として報告した。なかでも日本ではあまり報じられないのはキリスト教への弾圧である。


 「中国当局はキリスト教の家庭教会と呼ばれる非公認教会を邪教と断じ、信者の多い浙江省内だけでもここ1年半に50の教会を破壊し、信者1300人を逮捕した。当局はとくに信仰のシンボルとなる十字架の破壊を頻繁に続けている」


 フー会長の証言によると、中国政府は習政権の下で共産党の無神論に基づく宗教弾圧だけでなく、キリスト教の外国との絆を敵視しての抑圧を強化し始めた。


 中国では当局支配下のキリスト教組織として「三自愛国教会」や「天主教愛国会」があり、その信徒が2千万人強とされる。それ以外に1億人ほどが当局の禁じる地下教会で信仰を持つとみられる。沿岸部で欧米との絆の強い浙江省にとくに信者が多い。


 最近の十字架破壊は当局支配下の教会にもおよび、十字架は教会の尖塔(せんとう)の上は禁止、建物の前面の最上部ではない壁に埋め込むことを命じられる ようになった。それに反対する牧師や信徒はすぐ拘束されるという。なにやらローマ帝国の暴君ネロのキリスト教迫害を思わせるような弾圧なのだ。


 こんな現状を証言するフー氏は中国の山東省生まれで、大学生時代の1980年代にキリスト教に入信した。民主化運動にもかかわり、天安門事件にも参加し た。90年代は中国国内でキリスト教の布教に従事して弾圧され、亡命の形で米国に渡る。2002年には「中国支援協会」というキリスト教組織を創設して中 国内部の信者たちと密接に連携しながら活動してきた。


 フー氏は公聴会に並んだ上下両院議員や政府代表に対し中国政府の人権弾圧への反対を対中政策の中心におくことを迫り、9月に予定される習主席の米国公式訪問も中国の人権政策の修正を前提条件につけることを求めるのだった。


 女性の人権を旗印に過去の慰安婦問題で日本を糾弾する中国政府がいま現在、自国内でこんな人権弾圧を続けている事実こそ日本側でもぜひ提起すべきだろう。(ワシントン駐在編集特別委員)




日本の「平和」論者の暴力的な理屈

単に戦争のない状態が平和なのか


  日本の「平和」論者の暴力的な理屈
長崎の平和祈念像。本来、平和とは独立や自由を伴ってこそ価値がある(資料写真)



「平和」は暴力にもなりうる。最近の日本での安保法制論議を見て、そう感じてしまう。暴力とはもちろん比喩である。暴力的な効果とでも呼ぼうか。よ り正確に述べるならば、「平和」という言葉の高圧的な叫びが、日本の国民や国家を守ろうとする努力を破壊する政治的武器に使われている、という印象なので ある。


 朝日新聞や日本共産党などが先導する安保法制反対の主張がその例証である。この種のキャンペーンでは、「安保法制法案は平和を壊し、日本を戦争に 巻き込むことが目的なのだ」という非難が叫ばれる。集団的自衛権の行使容認に賛成する者は「戦争を好む、平和の敵」と断じられる。法案に賛同する政治家の 片言隻句を軍国主義とか好戦主義と攻撃する様は“暴力的”とさえも映る。

「平和」とは「戦争のない状態」なのか

 広島、長崎への原爆投下、そして終戦という記念日がある8月は、「平和」というスローガンが日本中を覆うように頻繁に、声高く、あるいは悲痛に唱えられる。だが、その「平和」とは何を意味するのか。


 日本で語られる「平和」は、単に「戦争のない状態」を指すと言ってよい。だが、単に戦争さえなければよいとなると、他国に支配された「奴隷の平和」でもよいことになる。自由も人権も民主主義もない状態でも、戦争さえなければ平和だということになる。


 しかし「単に戦争のない状態」だけを国家の安全保障の目標とすると、国家が国家ではなくなってしまう。一切の軍事衝突(つまり戦争)を禁じると、自国に対する軍事的な攻撃や威嚇にもまったく抵抗してはいけないことになる。

(つづく)

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